2012/08/21

ワルシャワへの道



いろいろな夢を見た。おそらく寝心地が最悪なせいもあるだろう。

 ある土地で大量に吹き出した石油を大勢の人間と一緒に電車で油田に向かっているという話だった。あまりにも現実のような夢だったので、目覚めた瞬間焦ったものだ。

外の風景に目をやると、相変わらずのどんよりとした景色だった。それでも首都ミンスクに近づくとビル等が増えてきたが、共産主義時代の面影が色濃く残る。同室のおばさんとその娘は、カザフスタンから来たようだ。娘もあまり英語は喋れないので、会話は特にせず3人並んで僕は音楽を聴いたり本を読んだりし、おばさんは編み物をし、娘は漫画を読んでいた。


昼過ぎに国境の街ブレストについた。ここでは旧ソ連とヨーロッパのレールの幅が異なるため、列車に乗りながら車両基地に入り台車を換えヨーロッパのレールの幅に合わせるという大掛かりな物だった。レールの幅はロシア、ベラルーシは広軌と呼ばれやや広く、ヨーロッパは標準軌という日本の新幹線と同じレールの幅になる。(JRはさらに狭い)しかし、その前にベラルーシの出国審査が列車内で行われた。

パスポートを見せるまでは良かったが。カザフスタンの親子はそのまま返されたのだが、僕だけ「こっちに来い」と廊下に呼び出された。ドキドキしたが、顔をまんべんなく見られ。よしと言わんばかりにパスポートを返してくれた。よかった。その後、馬鹿でかい犬が部屋中の匂いを嗅ぎ、犬が去ると終わった。

さあレール幅の交換だと、食いついて外を見るも、なぜか急停車急発進の微調整が多く、しかも見ていて進展がよくわからないので退屈になった。3時間もその作業を繰り返し出発。反対側のレールはどうなってるんだろう?

ん?






違いは全くわからなかった。


とにかくポーランドに入国した。初めてのポーランドはどんなものか気になった。
すると、外の風景は驚く程変わっていた。

小綺麗で可愛らしいカラフルの屋根の家。庭が広く、きちんと手入れされていて横にフォルクスワーゲンなんかが停まってる家。背の高いポプラ並木。田園風景。そうだ、これがヨーロッパなんだ。今までとの地域が変わったことに手に取るように感じられた。

そう思って食事の方に期待に胸が膨らんだ。夕方17:40にワルシャワWschodonia駅に着く、ここで僕はアムステルダム行きに乗り換えドイツのケルンまで行く。時間が1時間程あるので何か食べようと思った。朝からスニッカーズしか食べていなかった。しかもここ1週間まともな料理を食べていない。うーん、新鮮な野菜の入ったサンドイッチでもいいと思い駅のコンコースへ行く。コーヒーのいい香りがしてきた。

建物は近代的でコンクリート打ちっぱなしのようなデザイン。そのまま匂いにつられコーヒーとサンドイッチを注文する。が、「xxx ズロチになります」しまったユーロとルーブルしか持ってない
「ユーロ使えますか?」
「ごめんなさい」


悔しかった。お金を持っていて食べ物を買えないなんてそんな経験なかったからだ。仕方なくホームへ戻ると、アムステルダム行きがすでに停まっていた。僕の部屋まで行くと、今回の部屋は6人部屋で、3段ベッドが2つ向かい合っている。しかし、列車自体は最近の物でしかもドイツ製らしく、非常に機能的で合理的で快適そうだった。

とりあえず先頭の写真を撮ろうと外に出ると、一番前の車両にBARそしてCAFEの文字が。食べ物にありつけるかもと思い中へ急いだ。ドアを開けると『料理』の匂いがした。それは肉の香りか、はたまた揚げ物の匂いかわからない、とにかく料理が食べたい。店員に訪ねると、「ドイツ語?ロシア語?英語?」と訊かれ、まず言語から選択しなくてはならなかった。前菜を選ぶかのように英語と答えると



「今はディッシュ(セットのことかな)がおすすめなんです、チキンかビーフかフィッシュ」
「チキンで」
「少々お待ちください、ビールは如何?」
「水ください」
「了解」

そして数分後、料理が来た




それは大きめの平らな皿にコールスローとゆでたポテトに紫キャベツのピクルス、そしてその上に大きなチキンカツレツがどんと乗っかっていた。
何も言わずチキンをフォークとナイフで口に入れる。ジューシーすぎて口の中はびっくりして、おいしすぎて泣きそうになった、本当に感動した。コールスローもピクルスも手作り感がありおいしい。ポテトもあつあつで申し分ない。こんなにおいしい料理にありつけたのは何年ぶりだろうと思わずにはいられなかった。




おいしい料理にありつけた祝杯としてビールかロックのウイスキーを頼んでしまおうかと思ったがやめた。