2013/01/14

香港〜マカオ〜中国本土

香港にいよいよ到着した。





懐かしい高層ビル群、活気ある商店街。どれを見ても熱気がすごい。今回は香港だけでなくマカオや中国本土へも行ってみる事にした。



宿は安宿がたくさん集まっているところで知られる重慶(チョンキン)マンションの中にある。下の階ではインド系や黒人の物売りがいて、両替商が軒を並べる。ちょっと見は物騒だが、以前よりは犯罪の温床という程でもないそうだ。
宿の前に着くと張り紙が貼っていて「ここにはスタッフがいないのでEの4Fに行ってくれ」と書いてあった。ここはDの9階、また下に降りて違うエレベーターで登らなくてはならない。ホテルに着くと、いや、もうホテルと呼べる代物ではない。古いカラオケ屋の入り口のようなフロントでチェックインを済ませ部屋に案内されると、これまたカラオケの3人用くらいの狭い部屋だった。物価の高さに文句を言いたいくらいだったが、ここは香港だしょうがない。鉄格子の付いてる窓を開けると外の風景ではなくこのビルの隣の棟との隙間だった。外には通じておらず、もうこれは窓とは呼べない。ネズミのような足跡も聞こえる。





翌日、マカオに来た。入国審査を軽々と済ませ、街中をうろついた。
黄金に輝くビルや馬鹿でかいビルなんかはどうでもよく、ただ古びたマンションがなんとも哀愁を漂わせていた。





香港同様天気が優れなかった、これは公害のせいであるという。空気もあまり良くなく、暗い印象だった。

マカオを歩いているとやはり目につくのがカジノだ、せっかくなので入る事にした。


どれもこれもおもしろそうだが、やはり大小をやってみる事にした。サイコロを機械で3つふり、出た目が3から10までが小、11から18までが大。ぞろ目やいろいろな掛け方があるが、今回は大と小のいずれかで勝負した。最小ベッドが高く香港ドル200~500のところが多い。つまり一回の勝負で2000円以上を勝負しなければならないので、いろいろな台と過去に出た目が10回分程表示されているので、それをもとに予想し掛ける。

何回か勝負し500ドルが一時1300ドルまで行った。このままやめれば良かったが、調子に乗った僕はブラックジャックの席へと移動した。ルールは一般のルールと変わらなかった。これも勝ち負けを繰り返し、ほぼマイナスのないまま時が経っていった。

大小に戻り、500ドルの大掛けコーナーで勝負した。1500ドルはあったコインがあっけなく3回でなくなってしまった。悔しさが押さえられなくなり、もう500ドルを両替し、200ドルコーナーで再戦するもあえなく撃沈。結局1000香港ドル負けてしまった。(約一万円)



僕はむしゃくしゃした気持ちを抑え、その足で中国本土である深圳行きのフェリーに乗った。
深圳のフェリーポートにつき、深圳市内へ降り立つも公害の影響か粉塵がすごく、調子が悪くなりそうだった。治安が悪いとか、反日感情などと良い噂を聞かないが全くそのような事はなく、食堂の年寄りも僕が日本から来たとわかっても、「私もいつか行きたい」とやさしく返事をしてくれた。せっかくもらったビザだが、ご飯を食べてすぐに香港へ戻る事にした。

香港との国境で一部の中国人のマナーは驚愕するもので、遅いという理由で入国審査官に怒鳴っている悪者もいた。声大きい人が多いから余計迫力がある。


香港に戻り、相変わらず活気のある九龍付近を歩きまわり。翌日もあてもなく歩き回った。











今日が外国最後の日だった。



明日、いよいよ日本に戻る。およそ半年ぶりの日本。

ウラジオストクから始まった今回の旅はいよいよ終わってしまう。
実に困難や喜びの多い旅となった。ユーラシア大陸は本当に大きかった。
どれを思い返しても良い記憶として僕の脳に焼き付いている。もうこの先こんな長い旅行はできないと思っていたが、いつか必ずチャンスはやってくると思う。その時が来るのを祈るばかりだ。


今回行った国は大小合わせてちょうど40カ国だった。旅行前と比べると旅に対してもっと自由な考えを持つようになった。最初は絶対に飛行機を使わないとか、高いホテルは絶対に泊まらないなどと言っていた自分が冗談に聞こえる。実際旅に出るとそんなことはどうでもよくなり、体調次第では夜行バスは乗らない方が良いし、飛行機も便利で安く、そして早く目的地に着くので利用して間違いなんて事は全くなかった。バックパッカーだからとか変な肩書きみたいのに縛られるのも良くないのだろう。実際5つ星ホテルに泊まるバックパッカーもいる、最後に自分が後悔しなければ良いと思う。いろいろな人にも会った、善人も悪人も世界中の大概知られている国の人とも会った。おそらく今後肌の色や宗教や格好で偏見を持つ事は無いだろう。旅路で友人に会ったりすることはどれだけ感動するかというのもわかった。
食べ物もいろいろなものを食べた。自分のお腹が弱い弱いと言っていたが、実際のところ日本で暴飲暴食を繰り返していただけの事だったかもしれない。ただ、水は怖いという事もわかった。


この旅で自分の心境が必ずしも大きく変わったとは言えない、旅行前の自分がどんな人間だったかよく思い出せないからだ。大きく変わった事というか確認できた事といえば、僕の心はアイスランドという遠い国に氷漬けになった事だ。





この旅で出会った方々、支えてくれた方々、この愚日記を読んでくれた方々、どうもありがとうございました。




まだ行った事の無い場所へ、まだ見た事の無い場所へ、自分の名にかけてまた行きたい。








さようならユーラシア大陸。




いよいよ明日、沖縄。
東京につくまでが遠足です。



2013/01/13

ホーチミン:社会主義は感じられない

ホーチミンはさらにバイクが多かった。


バスを降りるとすぐにバイクタクシーの客待ちに捕まる。どうやらここはホテルから遠い場所らしい。値段を聞くと1米ドルでいいというおっさんの後ろにまたがり、ホテルまで案内してくれた。だが、やはりバイクが多すぎる。何度もほかのバイクにぶつかりそうになってひやひやしたものだ。しかも、着いたホテルは名前が非常に似ている別のホテルだった。仕方なくそこから数百メートル歩いて、予約してあったホテルについた。

旅行のはじめの頃は予約なんかしないで適当に宿を探していたのだが、いつしかそれが億劫になり、きちんとBooking.comで予約して泊まるようにしていた。冒険的なヒヤヒヤ感ははじめの頃は良かったが、長旅になるとどうも安全を選びたくなる。



ホテルで両替してもらうと、日本円の1万円が230万ドンという巨額に変わった。なかでも50万ドン札には驚いた。








ベトナム戦争の博物館

戦争の悲劇的な写真を見ていると、いつしか外は大雨が降っていた。


かっぱ売りが現れたので、カッパを買ってその場を凌いだ。





翌日は市場に行ってみた。






相変わらずの匂いと雰囲気には圧倒される。

社会主義国家だが、そういった感じは一切感じさせられなかった。人々も活気があり、カンボジアに比べればケンタッキーやマクドナルドなど、外資系の企業も多くある。だが、交差点などに立っている警官は時折睨みつけるような目が怖かった。
ホーチミンは物価も安く、比較的安全に旅行ができると思う。だが道の横断はちょっとコツが必要だ。
ベトナム料理。これは美味しいのだけれど、生春巻きを注文すると大量の雑草のような野菜が登場し、それをライスペーパーでくるくる巻いてあまり辛くないソースで頂く。日本で食べるのとは大きく異なる味だった。
個人的にはカンボジアで食べたライスペーパーで揚げた春巻きの方が好きだ。


3日間いたホーチミンを去り、ベトナム航空で最終目的地香港を目指した。列車で行く方法もあるが、お金と時間を考え飛行機にした。





2013/01/10

僕はこのままどこに連れて行かれるのか

カンボジア、シェムリアップに来たからにはアンコール遺跡に行かずにはいれない。ホテルのおやじに聞くと、日本語のガイドつきで30ドル、別にチケット代が20ドルかかると言われた。それは高いと思い、トゥクトゥク1日チャーターで12ドルの方を選んだ。

日本語によるガイドは無いが、気ままにアンコール遺跡を回れるという事もあり便利だ。


それを決めた後、近くの旅行代理店でホーチミン行きのバスのチケットを購入した。明日の朝にでるメコンエクスプレスは快適でプノンペンを経由して約12時間かかると言われた、価格は24ドル。もう一つは今夜12時に出発して明日の昼にホーチミンに着くというもの。これはVIPバスでスリーパーシートだし、Wi-Fiもトイレもついてるから快適だと言われ、価格は20ドル。寝れば良いやと思いこちらに決めた。





トゥクトゥクに乗って20分くらいでアンコール遺跡のチケット売り場に着いた、まるでテーマパークのようなチケット売り場だ、外国人が大勢いて賑わっている。



そして一番始めにアンコールワットについた。トゥクトゥクのおじさんはここで待ってると言われ、僕は一人で歩き始めた。














すばらしい建築に感動し、またトゥクトゥクに乗り、今度はアンコールトムに移動した。




アンコールトムはいくつかの遺跡の密集地帯で、歩いて回った方が楽だと言われた。















しばらく歩き回り、今度はタ・プロームに移動した。

はっきりってアンコールワットよりこちらの方が感動した。ガジュマルに浸食される遺跡がなんとも妙な風景を作り出していた。時間が経つにつれこの遺跡はガジュマルに飲まれ、崩壊してしまうのだろうか。





まるでついこの間まで動いていたような木。


もの売りも多かった、少女や少年が巧みに英語や日本語を使い、絵はがきや果物、飾り物などをどこまでもしつこく売りつけてくる。

この少女もそうだった、マンチェスターユナイテッドのユニフォームが印象的だ。





そして、僕は夜12時にバスに乗りホーチミンを目指した。

昼間に言われたVIPバスなんて言うのは全くの嘘で、ボロボロのバスだった。
車内に入ると、もう20年以上は使い古している事がすぐにわかった。車内の風景は衝撃的で、雑魚寝のようなベッドが右側2列、左側1列で2段ベッドになっている。
僕は運が悪く上段の右側だった。隣にはカンボジア人の若い女性と、おそらくその女性の子供であろう2、3歳の子供を抱っこしていた。ベッドには仕切りなんてものは無い。ただ雑に毛布が一枚あるだけで、荷物置き場も無い。トイレも、もちろんWi-Fiなんてものはない。


次々と乗車してくる白人のバックパッカーたちも車内に入ると目を丸くして、今自分たちがおかれている状況を信じられないという苦痛の表情を浮かべていた。


出発は1時間遅れた。

発車後、とてつもないスピードととてつもない揺れ。隣の子供は泣き出す始末。
自分の調子が悪かったら耐えられなかったと思う。


なんとか寝よう寝ようと思い、無理矢理寝る。



朝7時頃。起きると、どこかに着いたようだ。
プノンペンだった。


旅行代理店の人はノンストップでホーチミンまで行くと言っていたはずだった。
ほかのバックパッカーの人も困惑気味で、バス会社の青年らに聞くと、ホーチミンは乗り換えとだけ言い残し、バッグを置き去って行った。

ホーチミンに行く人はさほど多くはなかったもの、皆寝ぼけていたし、怒りを通り越しあきれて呆然としているだけだった。


バスを乗り換えると、今度は普通の4列のシートのバスだった。まずまず快適で、乗車率も少なかったので、悪くはなかった。この時点では。


バスは順調にベトナム国境近くまでやってきた。パスポートを回収され、国境の目の前で食堂に入った。
ここでのフォーが大変美味しかったことが壮絶なバス旅行の癒しとなった。が。

外でバスのエンジンがかからないと大騒ぎをしている。



もう乗客のほとんどは飽きれて笑っていた。


運良く逆側から来ていた同じバス会社のプノンペン行きのバスがいたので、道連れになってもらい、ケーブルをつなぐ。って、バッテリーあがっただけかよ。。



なんとそれでもエンジンがかからず、汗だくのバス会社の若造たちはなんとみんなでバスを押して押し掛けすることを決めたそうだ。食堂から道路のわずかな傾斜を利用して、押し掛けする。


掛からない。

今度は道の反対側の空き地から押すことにしたそうだ。車やバイクを止めて、10人掛かりで空き地に追いやる。


ドゴンという大きな音をたてた。どうやら溝にはまったらしい。


もう笑うしか無い。




その後、食堂の従業員などが手伝い、数十人で押して溝からバスを出し、その勢いで食堂にバスを突っ込むかのようなスピードで押し掛けをし、やっとエンジンがかかる。



その後は難なく国境を超え、ホーチミンに着いた。結局シェムリアップを夜12時に出発して、翌日の夕方3時に着くというありさまだった。
隣のノルウェー人のバックパッカーが「インドより酷いよ、あいつら僕らが囚人かなんかだと思ってる」と冗談を言いたくなるのもわかる。


これからは
「私どものバスは大変古く、非常に劣悪な環境です。途中故障して到着が3時間遅れる恐れもありますが、それでもよければ私どものバスをお選びください。」

と記載してほしいものだ。





飛行機なら160ドルで1時間。
バスなら20ドルで15時間といくつかのトラブル。


あなたはどちらを選びますか?

2013/01/06

プノンペンからシェムリアップ

エアアジアはゆっくりとプノンペン国際空港に着陸した。


窮屈な飛行機から放り出されると、イミグレーションが待っていた。カンボジアはビザが必要で、それを入国する前に取らなくては行けなかった。




当然のごとく長蛇の列だ。割とこぎれいな空港だと感心していると、肝心なことを忘れている事に気がついた。ビザに写真が必要だったのだ。写真は持っていたが、バックパックの中にあるのでもうここで入手するのは不可能だ。仕方なく近くの空港職員に聞くと、笑顔で2ドル払えば良いと言われた。2ドルで写真が撮れるのかと思いきや、そうではなかった。写真は撮られずいわゆるペナルティー手数料ということだったらしい。

そして、ビザのカウンターで理解できない現象が起きた。20ドルと聞いていたので20ドルを払おうとしたら、「君写真無いよね?100バーツ払いなさい」と言われ、米ドルも持っていたが100バーツをペナルティとして払った。その後ビザ代の20ドルを100ドル札で払おうとしてテーブルの上におくと、「ここで払うんじゃない、あそこでパスポートと引き換えで払ってください、お金は持ってておきなさい」といって25ドル渡してきた。

なんだこの25ドルは?

「これは僕のじゃない」と言うと
「君のだろ、はやく隣のカウンターに行きなさい」

分けもわからず隣のカウンターでパスポートと引き換えに20ドルを払う。


あの25ドルは一体なんだったのだろう?

むこうも忙しそうだったし、おそらく間違えたのだろう。まあいいや。






出国時に25ドル返してくださいといわれたら大笑いだけども。それとも新しいデポジットか。






そんなわけでお馴染みのトゥクトゥクで市内へ、バイクだらけで非常にスリル満点だ。




2人3人乗りは当たり前、信号無視は当たり前、右折左折転回逆走なんでもありだ。


カンボジアの通貨であるリエルはインフレだそうで、観光客は米ドルさえ持っていれば問題は無い。物価は非常に安く、クメール料理の代表でもあるアモークというグリーンカレーのようなものはだいたい200円もしなかった。食堂のチャーハンや焼きそばはだいたい$1.5~2で、タバコは2ドルでおつりが来る。



ホテル到着後、カンボジアの最も悲しい過去であるクメールルージュ時代の象徴でもあるトゥールスレン強制収容所を覗いた。あまりにも衝撃が強すぎたので、内容は省略したい。







そう、カンボジアは若者しかいない。

歳をとっていても40代が最高で、高齢者と思われるような人は一切いない。


これもこの国の悲しい過去が物語っているのだと肌で感じた。
実際、ホテルのスタッフは僕ぐらいの歳の人間しかいなかったし、バスの運転手もそうだ、空港職員にわずかに老けた人もいたがせいぜい40代半ばだった。



翌日はバスで7時間揺られ、北部のシェムリアップまで移動した。



途中はすごい悪路で、荒波の船上のような状態が続いたが、体調も良かったせいかそれほど疲れなかった。




シェムリアップのナイトマーケット

のどかな風景


鳥が丸裸で売られていた。匂いも凄まじいものだった。



豚ちゃん。


こちらは海鮮ものか、とにかくいろいろなものが混ざった匂いは鼻が曲がりそうだった。


そんな中、こちらではパーマ中でしょうか?



ホテルは一泊6ドルで約480円。これでシングルだから驚愕の値段だ。
だがシャワーは温水は出ず当然のごとく水が臭い、トイレとシャワーの部屋はもはや外と同じで、部屋も隙間だらけで外にいるのと変わらないような気がする。ゴキブリという強敵さえ出なければもう何でも良いか。


バンコク、久々にうまみを感じた 2013

泊まっているNasa Vegas Hotelは価格が一泊約1000円の割には良いホテルだ。ベッドも大きいし、部屋も広い。だが、細部はものすごく古く汚い、だから安いのだろう。ホテルのありとあらゆるものが、おそらくリニューアルというものをした事が無い様子だった。

1月3日現在でもまだメリークリスマスと大きく書かれた看板がロビーに貼ってある。これはこれで良いのだろうか。不思議だ。



外を歩くととても暑い、汗がしたたる程の日差しで、すぐにどこかに入りたくなる陽気。





これはタイ料理のカオマンガイ専門店。


カオマンガイとは茹でた鶏肉のゆで汁と生姜やナンプラーで炊いたご飯の上に刻んだ鶏肉をのせて食べるもの。
これは日本で食べるカオマンガイより圧倒的な味だった。ショウガのスパイシーさが程よいし、鶏肉をゆでた汁で炊いたご飯は絶品だった。これで120円くらいか。



屋台のものをバクバク食べ歩きたいのだが、おなかが弱いので敬遠した。ハエや蚊ぐらいならいいけど、ゴキブリやネズミがうろうろしているところはよっぽど食えやしない。



カオサン通り




バンコクは日本食も豊富だが、やはりタイ料理の方がおいしかった。日本食は日本に帰ってから食べようと思った。バイクタクシーやトゥクトゥクは利用しやすいがトゥクトゥクはぼったくりが多そうなので注意が必要だと感じた。一方バイクタクシーの方は、ノーヘルで後部座席に乗るのだが、逆走、信号無視は当たり前でスリル満点だ。肝を冷やしたい方におすすめ。


ホテルのルームサービスも1皿300円くらいで気軽に注文する事ができた。町から離れていることもあり便利だった。味の方もマズくはなく、手軽にタイ料理が楽しめた。




そしてバンコクを1月4日に出発した。ほとんどの日本人は新しくできたスワンナプーム空港へ行くが、僕はドンムアン空港だった。到着すると、セカンドエアポートらしい作りで、LCCのカウンターがいくつもあり、バックパッカーなど安旅行者がぞろぞろいた。最近の航空会社はほとんどがオンラインチェックインができるので非常に便利だ。長い列に並ばずに、荷物を預けるだけで良い。今回はエアーエイジア(Air Aisia)だったが、ここの航空会社はライアンエアーと同じく自分でボーディングパスまで印刷ができる。非常に効率が良い。その代わり格安航空会社は飛行機内で飲み物や食事がすべて有料だが、数時間くらいだったら問題は無い。




日本もこういうLCCが早く浸透してもらいたいものだ。ライアンエアーのような超低価格航空会社ができたら、いつの日か韓国まで数千円で行ける時代が来るだろう。