2012/09/29

恐怖、アトラス山脈越え:Merzouga~Marrakech


砂漠地帯のメルズーガから8時間のバスの長旅を経て、ワルザザードに到着した。

バスはそのままマラケシュへと向かうが、さすがにさらに6時間乗り続けるのは体力的に難しいし、この先には恐れ多しアトラス山脈がそびえ立っているのでワルザザードで1泊することにした。

モスクが近くにあり、熱心なムスリムがたくさんいる。食事はクスクスにした。
ここのところタジン、クスクス、タジン、クスクスとさすがに飽きてきている。
だが、他に料理がほとんどないので仕方ない、マラケシュではおいしい料理を食べようと思い我慢する。


夜になって、翌日のバスのチケットを買う。ワルザザード〜マラケシュ80Dh(800円)は
5時間バスに乗る事になる。時間よりも今回はアトラス山脈越えの方が気になる、ホテルで情報を収集すると、「2500mの峠を一気に越える」「ジェットコースターのようだった」「すごく酔った」などアトラス越えを果たした者の声に恐怖におののく。


一番の恐怖はこれだ。<モロッコ バス転落42人死亡>。つい先月、アトラスの峠でバスが谷底に落ちて42人も亡くなってしまったという事故だ。僕の乗るバスは国営バスなので安全対策は良いとのことだが、不安でその夜は寝付きが悪かった。


翌日(9月29日)朝7時にホテルをチェックアウトし、猫とハエと共に簡単な朝食を取り、唯一の防具である「太田胃散」を胃に流し込み、コーラライトと水を買いポケットにはビニール袋、タオルも持ち準備万端。「かかってこいアトラス」と言わんばかりにバスに乗り込んだ。


が、いきなり緊張のせいかムカムカしてきた。だが太田胃散が必死に胃を守ってくれていた。出発時にバス会社の職員が若い男の客に大声で怒鳴っていたため出発が若干遅れる。理由はわからないが納得のいかない様子の若い男は下車し8時30分に出発した。1時間程経ってからいよいよクネクネ道に差し掛かる。険しい山がそびえる絶景だが、それどころではなかった。






となりのおばさんがゲーゲーし始めた、さらに近くの子供も。



予想外の展開にいよいよ次は俺の番かと思われたが、奇跡的にそこまでには至らなかった。

いままで経験した事の無いような断崖絶壁の山道に恐怖する。映画「恐怖の報酬」という油田火災を止めに行く為に幾度となく危険な道を踏破する映画を思い出す。あの映画も確か、火災を止めに行くという任務を成功したが、帰りの道で調子に乗って崖に転落する結末だったっけ。。。







2時間ほど経過して、ようやく休憩ポイント。
だが、標高が高くてふらふらしていると苦しくなってきた。生き地獄とはこういう事を言うのだろうか、まだこの先もワインディングが続く。。。



山道は崖にそって走っていたが、少しずつ穏やかになってきた。
しかし、バスの中はまだ戦場だった。乳児の泣き声が轟き、アラブ音楽が奇妙なテンポで鳴り響き、となりのおばさんはまだ苦しんでいる。

「もう助けてー!」

と叫びたかった。だがマラケシュに着けば、しばらくこんな体験はないと信じ、耐えた。
時折自分のiPhoneで音楽を聴き気を紛らわしていたが、ほとんどすっからかんの僕のiPhoneはヘビーローテーションのStereolab,REM,Radioheadなどはアルバム1枚づつくらいしかなく、落胆した。




しだいに平野が見えてくる、カーブも段々と緩やかになってきた。






だが、体力はもう黄信号が灯っていた。この先、残念ながらまた山道ですと告げられたら、間違いなくダウンしていただろう。

聞いていたアルバムが終わり、無音になる。また選曲していると...
BECKの4文字を発見し、すぐにタップするとなんと「The Information」だけが入っていた。すぐに聞き始めると体がみるみる回復していき、モロッコに来てからのすべての不安が取り除かれた。BECKの傑作アルバムのリズムに乗りながら一気に僕の体はヨーロッパ時の好調さを取り戻したようだった。


1時間後、無事、本当に無事にマラケシュに着いた。
ホテルは2000円とモロッコにしては割と高めのホテルを選んだら、なんと大きいシティーホテルだった。しかも目の前がマラケシュの鉄道駅で、マクドナルドもある!
マクドナルドのMのマークに吸い込まれるように久々にハンバーガーを噛み締め、(店の周りは子猫がだらけだった)充実した気分でマラケシュを散歩し、長い戦いが終わったかのような安心した気持ちでホテルに戻った。



明日はカサブランカへ移動する。

...砂漠...


バスで11時間かけ砂漠の町メルズーガについた。乾燥しきったバスの中で、目が覚めると荒野が広がっていた。地平線の方にかすかに薄茶色の砂山がそびえ立っているのが見えた。ホテルはリゾート地のラブホテルと言ってしまったら下品だが、砂漠のオアシスに のほとりにある宮殿風の建物だった。そこまで高級ではないが、数日滞在するので良い所に泊まりたかった。Wi-Fiの状況はかなり悪かったが、食事もハエと一緒に楽しく食べれたし、寝心地も良いダブルベッドだった。値段は一泊大体3000円くらい。












地平線の先まで砂、砂、砂。

















翌日はラクダに乗って砂漠の中にあるテントまで移動し、そこで一泊するツアーに参加した 。味わった事の無い砂漠の夜中の静けさ、感動的な朝日は想像を絶するほど鳥肌が立った。

2012/09/26

アフリカ上陸:Casablanca~Fes

アザーンの声とともに朝5時ごろ目が覚めた。

窓を開けるとまだうす暗い、けたたましい男性の声が街中のスピーカーから聞こえる。 モスクに呼ぶ為のアザーンと呼ばれるものだ。


何度も同じ単語を連呼し、力強い音声が街中にこだまする。アラブの国に来た事を実感した。




カサブランカ空港にはリスボンからたった1時間半くらいで着いた。入国審査は思っていたよりはるかに易しくて、税関でも何も取られなかった。だが、リスボンでバックパックを機内に持ち込むときにシャンプーと歯磨き粉を失った。

すぐさまユーロをディルハムに両替し、地下の鉄道駅まで行く。鉄道の本数は国際空港にも関わらず1時間に約1本という少なさだ、チケットを手にして客車に乗り込む。

車両は非常に汚く座席もボロボロだ、なんだか新鮮な気分で出発した。カサブランカの市街地で乗り継ぎ約280km離れたFes(フェズ)までの4時間の鉄道の旅だ、列車は時折とてつもない音とともに揺れる。

カサブランカ・ボイジャー駅(カサブランカのターミナル駅)でフェズ行きに乗り換える。

発車ベルというものは無く、駅員が大声で行き先を連呼しながら手を叩いて発車を知らせた。



水を購入し2等車に入った、だが、ものすごい人だ。確実に座れない。いままでの鉄道がいかに快適だったかを物語る。シベリア鉄道とは比べ物にならない。あちらこちらに人が座っているので僕も仕方なく通路に座る。窓からは見た事も無い風景が飛び込む。



もっとも驚愕したのは、都市部に近い所にすぐバラックがあったことだ。
至る所にゴミの山がありその上を何人かが歩いていて付近には手作りの家々が何百何千とある、ちゃんとアンテナや電線が通っているので、一応の生活はできているようだ。こんな異様な風景は見た事が無かった、あまりにも衝撃過ぎて空いた口が塞がらなかった。なんというか、恐怖感とも言えない挫折感とも言えない不可思議な感情を抱く。


車掌がチケットを確認してきた、すると。
「君のチケットは1等だよ」

本当に?よく見ると1と小さく書いてあったが、何の意味かわからなかった。
チケットを買うときフランス語の1のアンを一人という意味で連呼していたら、1等一人と勘違いされていたらしい。だが、後で聞いたら1等は160Dh(約1600円)で2等は110Dh(1100円)だったのでそこまで差はなかった。

車両を移動するが、いろんな所に座っている客をどかしながら進んで行く作業は実に苦労した。しかも列車のドアが空きっぱなしで非常にスリリングだ。ようやく1等に着くと6人用のコンパートメントで、席以外には人は座っていなかったので安心した。差額の500円は席代と思うか。



フェズに着く前に中年の男性に話しかけられた、易しそうでいろいろとホテルの場所まで教えてくれたので助かったが、駅に着くとこれから食事でもどうか?と聞かれ、何も食べていない僕は近くなら良いと答え、すぐ近くの簡単なレストランに入る事にした。
彼はフェズの旧市街で革製品を扱っている店を営んでいるらしい、真っ先に買わないかと訊いて来たが、買ったら旅行が続けられないと言うと残念そうな顔をしていた。なぜか食事を誘った彼はほとんど口にしなかったのが気がかりだったが、飯はわりとおいしかった。モロッコ風サラダ(米がなぜ入っている)に、タジン鍋(甘くないミートソースにミートボールと卵)とモロッコパン(これが結構腹に重い)、水、しめて600円くらいか。ビールは無いのかと訊くと、「モロッコにはほとんど酒はない」と言われた。
そうだイスラム教徒が9割以上を占めているのだ、当然酒や豚はない。

料理をハエと一緒に平らげた後、彼は明日もしよければ旧市街に来てくれ、と言いタクシーに乗り去って行った。ホテルのチェックインを済ませた。宿代は1泊1000円。



翌日、世界一の迷路の街フェズの旧市街メディナに足を運んだ。
カフェに昨日の革製品売りのおやじがいた。彼は僕を捜していたようで、僕の顔を見るなり待っていたと言われ、すぐタクシーでメディナに行こうと言う。よくよく考えれば軽率な判断だった。そんな慈善事業なんかするやつなんてこんな所にいないという事を知っておくべきだった。彼の案内に乗ったおかげでメディナの迷宮に迷う事は無かったとはじめは感謝していた。壁は高く道は狭い、いろいろな商店があり猫がそこら中で寝ており、狭い道にロバや馬や羊が通る。何もかもが異様な光景だった。そして感じた事の無い香り、もうここまで来ると臭いとかいい匂いというレベルを通り越したようだ。


革製品のおやじは店に案内した後、高台がありそこにあがると羊が見えた。おやじは、
「あの羊たちは肉、革製品や、毛皮になるんだ」
と意気揚々に話す。すぐ下には、確かに肉屋や革製品の店が多くあった。
「この革のバッグ、さっき下ろしたばっかで新鮮だよ」
と言われても、肉ならまだしも服やバッグはちょっと買う気にはなれないなと思った。
 羊たちの毛皮と革がここで干されていた



景色はこんな感じ




おやじがその後当然のように本性を現し、革製品や衣類を買わないかと執拗にきいてくる。いらない、いらないと連続で言うと、なんとか諦めてくれた。
もう帰るのか?と訊かれ、そうだと答えると、この道をずっと右に曲がれば通りに出てタクシーを拾えると言われ、足早に迷宮から出ようと試みた。

だが、すぐに自分がどこにいるのかわからなくなる。近くの人々は何か企んでるのではないかと、自分は勝手に勘ぐっていた。もしかしたらこの先が実は行き止まりで、さっきの奴が仲間を連れてきて、そいつらにボコボコにされるのではないか。本気で思った。

無事タクシーのいる所までたどり着いた。駅の近くのホテルまでと頼むと、フランス人が僕も乗っていいかと訊かれ相乗りに応じた。よく見ると右のミラーは無いし、右側の窓が無く実にボコボコのタクシーだ、僕がボコボコにされていなくてよかったと思った。

フランス人と話すとやや安心した。彼は旅行で二度目のフェズらしいが、やはりメディナは一人だと不安だと語る。前回はガイドを付けたらしいが今回は一人で抜け出すのに時間が掛かったと話す。少しおやじ対しコーヒー一杯であそこまで付き合わせて悪かったと思ってしまった。
 ホテルからの風景

アラブ式と洋風トイレの共演。



翌日は、バスで10時間かけてサハラ砂漠にある村メルズーガに行く。
バスは150Dhで21時に出て朝7時に着く、なんとか無事に着きたいものだ。


2012/09/25

Norah Jones@Campo Pequeno

今日はロンドンにいるときに買っておいたチケットでNorah Jones(ノラジョーンズ)
のライブを見に行く事にした。


なんと場所はリスボンの中心街にある闘牛場でやるらしい。
闘牛も見たかったが、仕方ないが今日はノラジョーンズで我慢するかという気分で望んだ。

なぜこんなに気楽なのかというとチケットが€25(2500円)だったからだ。
ノラジョーンズを日本で見ようと思ったら8000円ぐらいすると思う、タイミングも良かったしラッキーだった。



会場に着いた。闘牛場を見るのは初めてだったので、そのフォルムに驚いた。





すぐ暗くなってきて、会場が開いた。




客席はこんな感じ。
 丸い!さすが闘牛場。しかも€25の席だが、会場が小さいおかげでとても見やすそうだ。






ノラジョーンズ(以下ノラ)のライブは初めてであったが、グラミー賞をいくつも取るようなやつがやうような大掛かりでくどいスタイルではなかった。

前作の時ツアーで参加していたという、巷で有名なドラマー、ジョーイ・ワロンカー氏の姿は無かった。今作のアルバムでも叩いていたので期待したが、都合が合わなかったのか別のドラマーになっていた。もし、彼が叩いていたならば、とんでもないライブになった事は間違いないであろう。なぜなら、彼の作り上げたドラムパターンは他の者がプレイしてもやはり聞き心地がよかったからだ。


今年出した''Little Broken Hearts''の曲たちは見事だった。ノラの初期があまりにも大きく取り上げられているため、ファンの間では最近の彼女の方向性にはやや賛否両論のようだが、僕はその逆で数年前からのノラの方が好きで、特に今作は申し分ない出来上がりだ。Beckの''Modern Guilt''をプロデュースしたデンジャーマウスとの共同制作だった今作は、確実にクリエイティブだが以前より商業的にはリスキーな作品だ。その事によって見事な作品になったのだと思う。



彼女も、過去の曲は極力避けているようで、初期2作からはおなじみ''Sunrise''と''Don't Know Why?''しかやらなかった。この2曲も前者は、マイク1つで、メンバー全員がステージ前で軽く演奏するというスタイルに留まり、後者はピアノのみでの演奏であり、おそらくノラは今回のツアーからこの2曲は除外したいのであろうと想像した。しかし、この2曲をやらなかったらファンは大ブーイングなんだろう。ファン思いなノラだ。





能書きはいいとして、それにしてもここのお客さんの反応がおもしろい。
曲の途中のグッと来る瞬間にかならず拍手が起こる。こういうのはあまり経験した事が無いので、見ていて楽しかった。声援もすごい、冗談をノラに言うとノラもそれに応じる。



「オブリガード、ベリーマッチ」を連呼するノラには場内大爆笑だった。


set list:
1.Good Morning
2.Say Goodbye
3.Take it Back
4.Chasing Pirates

あとは、覚えてない。。




翌日、バスと船を使いモロッコへ行こうと計画していたのだがこの間のチャンピオンズリーグ観戦の為資金難で格安航空券を探したら、わずか€90のカサブランカ行きのチケットを発見した。陸路と船で行くよりずいぶん安いし(バス€60,船€30鉄道€30)体力的にも時間的にも飛行機はありがたい。出発前は飛行機は邪道だと思っていた人とは思えないほど迅速にチケットを入手した。
そうして、初めてのアフリカ大陸上陸となるモロッコへ飛び立つのであった。

飛行機、ボロボロ。。。。

シートボコボコ、足下のプラスチックの壁が割れてる、しかも臭い。。。。

大丈夫か?ロイヤルエアーモロッコ。


だが、モロッコ自体のほうがもっともっと衝撃的だった。


つづく

2012/09/22

リスボン:日差しは南国レベル

夜行で無事リスボンの玄関駅サンタ・アポローニア駅に着いた。
まだ朝7時40分ということもあり人はまばらである、荷物を預けるために宿泊予定のホステルの場所をインフォメーションで聞き、おなじみの地下鉄で移動する事になった。わずか3駅なので時間は短かったが、リスボンの地下鉄も安全そうだ。




駅をおりて地図を見て路地に入ると、そこはリスボンの旧市街。


感じた事の無い空気、見た事の無い路地に感動するが、アップダウンの激しいリスボンの街とバックパックの重みにすぐに疲れてしまう。ホステルに着くとひとまずコーラを飲んで落ち着き、観光する事にした。




ホテル近くの見晴し台からの眺め、ここが魔女の宅急便のモデルになっていたことを思い出した。



ここからキキがおしゃぶりを届けに飛びだったとか



歩いていると、本当に日差しが強い、マンチェスターで50ペンスで買ったサングラスを装着。
さらに暑い!ジメジメするようなストレスを感じる暑さではないが、汗が滴るほどかく。




すると、もしやお前はジジか?キキはどこに行った?






オールドファッションなトラム




これまで旅をしていて、ここリスボンが一番眺めが美しい街だと思った。





商店街を歩いていると。。。


ZARA HOME?
もしや、と思い入店すると。

やはりそうだ、あのスペインのファストファッションZARAのインテリアショップだった。
デザインはやはりあのZARA風のちょっとエレガンスな(この単語あまり好きじゃないが)感じだが、値段はやはり安い。このベッドも2万円くらいだった。
食器なども割とデザインが良く、ちょっとギラギラした蛍光色強めのカラーリングだが、MUJIでもない、IKEAでもない、フランフランでもない日焼けした日差しの強い街に合う味付けだった。

日本に来たら、値段の安さに人気が出そうな気がしないでもない。


また歩き出し、横断歩道をのろのろ歩いてると、小さい車のおやじに怒鳴られた。
何もそんな大声出さなくてもわかるよ。



ホステルの反対側の丘の上に城跡があったので行ってみた。
高所恐怖症のあなたは、あるいはここへ来るのを見送った方が良いかもしれない。
城壁の階段は手すりがあるのだが、上に登るとそれがない。結構怖い。



だが、眺めには感動して、しばらく座っていた。







海岸ちかく


では、また。

2012/09/21

マドリード動物園

サッカー観戦の興奮も冷めやらぬ翌日。


動物園に来た。



とてつもなく広大で、水族館も一緒になっている。

日本の動物園とは違い人が少なすぎる。


フラミンゴ





キリン。近くにくるので口を触ったら、「ブハッ」とものすごい香りとともに息を吹きかけてきた。


一番の人気だったイルカショー


ウミガメ

猿山




パンダ
2~3人しか見てなかった。笹に埋もれながら笹を延々と食う姿は、実家暮らしのニートのようだった。




街に戻り、夜行列車まで時間を潰す。calvin kleinの看板の大きさ。





やっと夜行が来た。と思ったらおもちゃトレインですか?


ちゃんとリスボンまで行ってくれるらしい。



今回は写真中心でした。ではまた。