2012/08/18

ウラジオストクの番長に別れを告げて

ロンドンに到着しました。
ユーラシア大陸を鉄道で10日間駆け抜け、11890kmも走った。

それは今までに感じた事の無い、長い長い鉄道の旅だった。
ユーロスターはゆっくりとロンドン セントパンクラス駅に着いた。

本当にロンドンまで鉄道で来てしまったのだ。






日記は8日に戻ります


8月8日

大学生のユリコちゃんは車でロシア人の友人と大きな橋を見に行ったので
スイス人のソニャと灯台へ行く事にした。
ホステルからバスに乗りわずか5分で終点なので、そこから歩いて20分くらいで灯台に着いた。途中、街が一望できる丘があり、ウラジオストクを眺めた。
廃墟が多く、バスも中古の韓国製で車はみんな中古の日本車だった。
かつて、ここは秘密都市的な軍港であり日本人は10数年前まで入る事ができなかった。そんな事を思うと今は近代化に勤しんでる途中で、未完成な都市ともとれるし、もう開発しても観光には向いてないと投げやりになった街とも見える。そういえばAPECがもう少しで開催するそうだ。

 その後いよいよウラジオストク駅に行き出発を待った。
駅のホームにある9388kmというモスクワまでの距離のモニュメントを見て期待と不安を覚える。列車が到着し乗り込もうとしたが、車掌がチケットにしろとロシア語で言う、チケット交換所に行くとしなくて良いと言われる始末。結局駅員のじいさんが間違っていた。ようやく中に入ると2等の寝台は非常に奇麗で快適そうに見えた。

22時半頃出発。
さっきの車掌に無理矢理菓子や紅茶を買わされた事を除けばなかなか想像してたものより快適にモスクワまで行けると想像した。(結局紅茶類は後で重宝した)
2等は4人部屋なのだが1等は2人、そしてユリコちゃんとソニャはなんと3等(クラツカルという)であった。個室ではなく無く横に2段のベッドと縦にも2段のベッドがある、とにかく人口密度がすごい、2等と空気が違う。旅行、出稼ぎ、軍人、アル中、よくこれでモスクワまで行けるもんだと感心してしまった。

部屋に戻ると廊下で英語で話しかけられた。ニュージーランド出身で今はアイルランド在住のリサさんだ。彼女はロシアでは英語が全く通じなくて我々と同じく困っていたそうだ。
英語が話せる人がいただけで、良かったと思ったが残念ながら彼女はウランウデという3日後に止まる駅で降りるという。さっそく知り合いができ、これからが楽しくなる予感がしたところで寝る事にした。

部屋を暗くし窓の外の景色を眺める。

星がとてもよく見えてきれいだった。北斗七星が場所を間違えたのではないかと思うほど星と星の感覚が開いて見えた。辺りは平原が続き目が慣れると丘や山などがよく見えた。とある駅で貨物列車が休んでいた、貨物のほとんどがガソリンや重油でそれも見た事の無いくらい大量だった、80両くらいはあった。それらを眺めながら1日目を終えた。







つづく