2012/08/31

Grimes @HMV RITZ,Manchester


8月30日

電車に1時間乗り、マンチェスターに戻ってきた。
なぜマンチェスターに戻ってきたかというと、Grimesのライブを見る為だった。


Grimesとはカナダ、バンクーバー出身で若干24歳の奇才な女の子(本名クレア)のことである。

今年始めに4Adという大御所レーベルに移籍し2月にアルバムを出すまで知らなかったのだが、彼女のサブカルチャーなアートセンスや難解な歌詞、ベッドの上でラップトップのみで作ったというポップだがアウトローな電子音の曲たちが完全に僕を支配していた。


ちょうどマンチェスターでやるとの事だったので、チケットはネットで購入した。

19時半ごろ会場に着く。レセプションでネットで購入したと言い、カードを見せたらすぐにチケットを渡された。
チケットは£10(1250円)安すぎる。


会場に入って失敗に気付いた。




腹が減りすぎていた事だ。再入場はできないらしい、しかもGrimesは21:45スタート?
遅い!


仕方なくビールを飲む。
食べ物はポテトチップスとポップコーンしかなく、仕方なくポテトチップスを齧る。


一人でビール片手にポテチってどんだけポテトチップス食いたかったんだよあいつ、というような視線を浴びた。






前座の2組はしんどかった、良くない、かといって特に面白い訳でもない。







そして、ようやくGrimesが登場した。










登場し、意外と背が小さくシンセやシーケンサーを忙しそうに操作してる姿は非常にかわいらしかった。多分予定していたプレイができることは無いのではないかと思う程不安定な演奏だった。隣りに長身の男がドラムパッドらしきものを叩いていたが、そこからは全く音が出ていなかった。彼は一体何しにきたのか謎である。さらにバックに流れていた映像は彼女自身やあの映画のトトロの映像やエヴァンゲリオンといった全く音楽と合わないところもただただ奇妙としか思えない。

観客の半数以上は彼女の音楽からいつものテンションで、ただ踊りに来たという人が多かったかもしれない。だが低音はNightmusicという曲を除きわざとふわふわさせていて、踊れない。



だがこの妙でアウトサイダーな彼女のパフォーマンスはかなり痺れた。
研究段階でまだまだ未完成なプレイではあるが、曲のセンスはやはり良く今後もっと音やプレイスタイルを改善したらもっと面白くなると(勝手に上から目線で)思った。




グッズも凄かった
Tシャツは売り切れ,LP,CDと続き、その下は。。。

なんとも彼女らしいものでした。





1.Symphonia IX (My Wait Is U)
2.Vanessa
3.Circumambient
4.Obilivion
5.Be a Body
6.Nightmusic
7.Genesis
(encore)
8.Phone Sex (feat.Grimes)




おわり

2012/08/30

Ambleside

アンブルサイド<AMBLESIDE>。
Ambleとは馬がゆっくりとした歩調で歩いたり、散歩するという意味である。

アンブルサイドは、散歩するその横でというような意味合いだろう。





 12時頃、ロブに送ってもらいユースホステルに着いた。火曜というのに観光客が結構いる。チェックインは14時からなので何かしようと思う。
すると目の前に船着き場を見つける。どうやら遊覧船らしい、良い時間つぶしになりそうだと思い、チケット売り場へ行く。種類はいろいろあり、40分だけ周遊するものやあちこち停泊し観光するプラン。僕はウォーキングプランを選んだ。
まず3km程船に乗り、そこから4マイル(6.4km)歩き、そこから船で戻ってくるというものだ。

船が出発するまで時間がある。お腹もすいてきていたので、近くのフィッシュアンドチップス屋に入る。まずまず人がいたので悪くないのだろうと思い注文する。
しかし、魚が馬鹿でかいのはまあいいとしても味は記憶に残る程まずかった。応急処置としてモルトビネガーや塩こしょうやマヨネーズを用いたが、優秀な味付け役である彼らでも太刀打ちできなかった。油を切っていないんじゃないかと思うほど脂っこく、ポテトも揚げたてなのだがしなしなでまずい。以前食べたものはうまかった、場所によっては大きく味が変わるらしい。


船に乗り込むとオープン席があったのでそちらを選んだ。そして出発、しかし8月というのに肌寒くジャケットを着込んでいた事が功を奏す。ボートは15分ほどで最初の桟橋についた、ここから6キロ半のウォーキングだ。

眺めも良し、湖のほとりの空気もおいしく快調に歩き続ける。









大分歩いたと思い、表示板を見るとあと2.5マイル。まだ結構あるな。

途中いろいろな事が頭の中で浮かんでは消えた。


日本はどうなっているんだろう(まだ3週間しか経っていないが3ヶ月くらい経ったような気がした)旅が終わったら自分はどうやってあの東京に馴染めば良いのだろうか、自分の将来はどうなるのか、宇宙は本当にあるのか、月に行った人はどんな思いで地球に帰ってきたのだろうか。地球に帰るときどうやって地球に馴染めば良いのだろうと不安になったりしたのか、そんな事より地球に帰れないでこのまま宇宙のちりになるかもしれない。そして、あの月面着陸したアメリカ人は何を思い死んで行ったのか。。そんな事を思ったら自分の悩みはちっぽけだなと思った。

さまざまなことを思いながら歩く。途中かわいらしい4,5歳の男の子が自転車から転倒してしてしまったらしく大泣きしていた。彼女はどうやったら泣くのを押さえられるのかと必死のようだった。





急に尿意がする。しまった。

周りにトイレなんてなかった、まだ先も長い。
水分を摂りすぎたかもしれない、どうしようと思いながらも歩き続ける。

幼少の頃、家族で旅行中に同じような山で歩いており、そのとき急に便がしたくなった事を思い出した。

悩んだ末、我慢する事をあきらめ。山へ駆け上り、人が周りにいない事を確認し、用を済ませた。谷を駆け下り、道に戻ると年寄り夫婦が何事かと僕の顔を凝視したのは言うまでもない。笑顔で何事も無かったかのように歩き出したが、彼らはそのまま不思議そうな顔をして通り過ぎて行った。


湖のほとりの奇麗な芝生の上に木があり、その下で小休憩をした。
桟橋はすぐそこだった。やっと船に乗る事ができ、今まで歩いた分を船で戻り、最初の船着き場に到着した。かなりハードな観光だったが充実した、その後すぐホステルのチェックインを済ませ部屋に行った。
なぜか1階の部屋は1つしかなく、僕はその部屋になった。2段ベッドが一つと普通のシングルのベッドが一つの3人用という不思議な作りの部屋だった。トイレのドアを開けて中に入るとその大きさに理解できた、ここは車いすの人でも利用できる部屋、だから1階なのだ。なんだか少しラッキーだったかもしれない。

夜遅く、年寄りの男性がやってきた。どうやらシングルの方は誰も使ってないらしく、僕と彼のみだった。こんな年寄りも利用するのかと思っていると、話しかけてきた。


なんと彼はここにしばらく住んでいるのだと言う。
驚いた。
しかし、金額にするとここの1泊の料金はわずか£14(1,750円)なので、ひと月52,500円だ。水道ガス電気はもちろん払わなくて良いし、ベッドメイキングも頼めばしてくれる。食事は完全に有料だが大した額ではない。身の上話はあまりされなかったので、彼の家族や背景は謎だがここにしばらく住み、拠点としてさまざまな場所に歩いたりしているという。




彼は翌朝(かなり早朝)また何処かへ行ってしまった。







2012/08/29

Hawkshead

8月26日

ホークスヘッド(Hawkshead)という田舎町にいます。
あるものが好きな方には非常に有名な村です。





 そう、あのピーターラビットを書いたビクトリアスポターが住んでいた場所である。前に湖水地方に来た事が一度だけあるのだが、その時は1泊で終わってしまったので、今回は自然を満喫したいという思いがあった。
この間までロンドン、マンチェスターとわりかし大都市だったという事もあり、小さな村がいいと思っていた。ホークスヘッドのある湖水地方はウィンダミアを中心に小さな集落がいくつもあり非常に自然豊かで、家も石畳が多く観光や避暑地として好まれている。ホークスヘッドを選んだ理由は、外観がよさそうなユースホステルがあったからここに決めた。





 昨日ウィンダミアに夜着き、前の日に予約しておいたホテルに1泊した。部屋は小綺麗で人懐っこいオーナーがかわいらしかった。ホークスヘッドまでの行き方を丁寧に教えてもらい、朝出発した。バスはホークスヘッドの中心部までしか行かないのでそこからは2kmくらいだから歩くかタクシーでも良いと思った。バスは狭い道を走り、30分くらいで着いた。

場所を確認し、ホステルを目指す。街といっても家が20軒くらいの本当に小さな村なのですぐに街から外れる。すると、すぐに目の前には牧場と湖が目の前に広がる。素晴らしい景色に歩く気力が湧く。


牛、羊、そこら辺に野うさぎもたくさんいた。

当然糞もたくさんあった。
























歩き始めて30分程度でようやくユースホステルの看板が見えてきた。周りは民家が2軒ほどあるが、どれも大豪邸というか敷地がもの凄く広い。こんなところにホステルがあるなんて誰も思わないだろう、そう思った。

 なんとも大邸宅のような車寄せを歩く、道はわずかにスロープになっており緩やかなカーブの先に奇麗な屋敷が見えてきた。周りは芝生が丁寧に手入れされており、こんなところに貧乏な旅行者が入って良いのだろうかと思った。屋敷のドアを開けると、美術館のような内装だが、レセプションやダイニングルームの紙で書いてある表示をみて、ああホステルなんだなと思い出した。









 建物の中を歩くと、何処を歩いても「ギーギー」と音を立てる、だいぶ年季が入ってる。それもそうだ、建物の外には名前は知らなかったが小説家が50年前に住んでいたと記されてあった。


部屋は僕の他に6人もいたが、大方旅行者なのでフレンドリーだった。なかでもローマからきたイタリア人の若者は日本のことが興味あるらしく、寿司は日本各地で食べ方は変わるの?とかうどんはどうやって何から作るの?と質問攻めにあったがそのうち表現力不足で力つきた。


 



 翌日、雨がかなり強く降っていた。

さらに風邪っぽい。予定していたサイクリングは中止して、のんびりすることにした。しばらくするとiphoneとmacbookの調子が悪くなり寝る。

起きると雨は弱くなっており、近くの小さな山に登ってみた。
だが、急に強くなったりするので合羽も効果が無くなってくる。
なぜかこういうイギリスの田舎風景にはSuper Furry AnimalsのLove Kraftが合う。





牛が僕に興味津々




このように急に晴れてダイナミックな景色も楽しめたりする。




Hawkshead中心部



部屋に戻ると、リバプール出身のロブがいた。一人で車でイギリスやアイルランドを2週間で廻っていると言う、いい感じの人だったのですぐに打ち解けた。

彼は「僕も明日出発するから、車で次の街まで乗せてあげるよ」
おお、それはありがたい。

僕は、明日アンブルサイドというここより大きい隣町に泊まる予定だった。
快諾し、その日はすぐに寝た。




翌朝、起きるとロブはランニングに出かけて行った。10時に帰ってくるよと言ったので待っていた。
チェックアウトを済ませ、外の庭のベンチで座っていた。

今日は天気もよく、日光が気持ちよい。近くではウサギが食事中だ、と思ったらトイレ中だったのか。



しばらくすると車の音がしたので後ろを振り向くと、プップとクラクションが鳴った。
ロブだった。愛車はフォルクスワーゲンと言っていたが、数世代前のポロGTIとは渋い。




乗車すると、こじんまりした車内に落ち着く。






マニュアルの手さばきは凄く、細い田舎道のワインディングを疾走する。
毎日こいつとドライブするのが好きだと言うロブ。中古で50万円くらいだったらしい、安い。



アンブルサイド(Ambleside)に着いた。ユースホステルは湖のほとりにあった。
ロブと別れを告げ、また一人になった。しかし、ロブとの出会いによって心が大分リラックスできたようだ。アンブルサイド、のんびりとした良い街のようだ。





では、また。

2012/08/26

全身震撼 @Manchester Utd V Fulham

遂にこの日がやってきた。

待ちに待ったマンUの観戦だ。


いつもの英国式朝食を取りユースホステルを10時にチェックアウトし、荷物を駅に預けた。(久々に英語が何言ってるかわからない奴が登場する)
12時頃トラムに乗りTrafford駅に着くと、もうそこらじゅうが赤く染まっていた。大勢の人がスタジアムへと向かって行く。

Old Traffordは表向きはそこまで大きく感じられなかった。やや古さも感じられ、補修などを繰り返してきて今の姿になったことがわかる。そこらじゅうに売り子がいて大声をあげている、ドキドキしてきた。今日はやはり日本人が多いのか、若い人から家族連れまで結構見かける。

周囲を歩いていると、人だかりが見えた。なんだろうと見ると、ちょうどよく選手がバスから降りてくるところで、ルーニーや香川ももれなく後ろ姿で見えた。満足していると、ようやくゲートが開いたようだ。ゲートはスタジアム内にたくさんあり、自分のチケットに記載されているゲートからでないと入れない。ゲートは大変狭く肥満の人はどうやって入るのだろうかと不思議になった。ゲートをくぐるとよくあるスタジアムの内側という感じで、薄暗い中にホットドック屋があったりトイレがあったり、他会場の試合などが映し出されていた。人はまだまばらだったので、とりあえず席を確認しようと思いスタジアムに入場した。






近い。





近いーーー!



なんという近さだろう!

今までこんな近くでサッカーを見た事があったかと思う程近い。
少年時代サッカーをやっていた頃ベンチからの景色と変わらない。(ずっとベンチだったわけではない。余談)


激しく感動したままスタジアムはいつのまにか満席になっていた。アップも終わり選手が控えに一旦戻る。香川も、他の選手と3対3のパスまわしをやっていた。軽やかな動きで調子はいつもと変わらないようだ。


すると、

「オーーーーーーー」


突然地響きのような歓声とともに選手が入場する。
もう鳥肌は立ったままだ。

整列して、すぐ選手たちはピッチに散らばり、あっという間にホイッスルが吹かれた。大歓声とはこういうものなのだ。歓声で体が痺れるような感覚がした。



試合の方は、いきなりフラムの先制で始まり場内は凍り付く。
そこにいる全員が頭を抱え、全員があっけにとられ、全員がどよめいた。


しかし、マンチェスターのレッズはやはり強かった。ファンペルシーのゴールで同点。その時の歓声は忘れがたく凄いものだ、こちらの観客は声と拍手のみの応援なので、なんというかテニスの観客に近い物がある。マンUの選手がボールをカットすれば大拍手、コーナーでも拍手喝采。サイドのバレンシアにボールがつながればこれまた拍手喝采。非常に理解しやすい応援だ、ぶっきらぼうに歌ったり、太鼓を叩いたり騒いだりという事は無い。ただ全員がこれ以上無いくらいにゲームに集中して観戦しているという事だ。だからリアクションもすごい。

僕も、彼らと同じく集中していた。だからファンペルシーのあのゴールのときには他の人と同じく体が勝手に立ち上がり両手を挙げ歓喜の雄叫びをあげていた。テレビでよく見るこのシーンは集中力からなるものだったのだ。



そして、ついに香川のプレミアリーグ初ゴールで逆転。その時の歓声も凄かった。カガワコールはまだ完成されていないのか弱々しかったが、彼を讃える拍手はしばらくやまなかった。


とんでもない瞬間を目の前にしてしまったと思い涙腺が緩んだ。
さらにその後ラファエルが追加点。

後半はあまり良い内容とは言えなかった、その後香川はルーニーと交代し大歓声のもとピッチを後にしていた。途中香川はアンデルソンに何か怒られているようなシーンがあった、アンデルソンはガツガツ行くタイプなのでちょっとイライラしてしまったのだろう。テレビではなかなか見れないシーンだ。




ルーニーが心配だ。




 試合後、まぐれにもウェルベックがこちらの方に来て子供にハイタッチしていた。思いっきり手を挙げた、彼は優しいまなざしでタッチしてくれた。人生で一番腕を伸ばした瞬間と言っても過言ではない。




試合終了後の余韻も終わり、あっという間に過ぎ去っていったような感じがした。

感動しすぎて、正直香川が点を入れたとかマンUが勝った事でうれしい、という感情よりももっと違う感情が宿っていた。



会場を後にすると、どっと疲れてしまった。


その夜、慌ただしく列車を乗り継いでウィンダミア(Windermere)に移動する。電車の遅れもあり22時過ぎに駅近くに着いた。途中の駅からウィンダミアまでVirgin Trainがタクシーを出してくれて難なく着いたのだ。




激動の一日が終わった。


2012/08/24

マンチェスター のんびり

8月23日夜
 
 

 まだマンチェスターにいます、ここに来てからは特に刺激的なこともなく毎日ぶらぶらしてホステルと街の往復をしています。ホステルには毎日入れ替わりで、イタリア人だったりフランス人だったりドイツ人だったりと、いろんな人がいろんな目的で泊まりにきている。イギリス人の子供が同じ階の部屋にいるのだが、とてもうるさいし毎日ホステルの周りをうろうろしていて何しにきたのかがわからない。
彼らは僕とすれ違う時必ず「ニーハオ」と言ってくるのにも最初は笑って返したがいよいよしゃくに障る。日本人だと言い返しても聞く耳を持たない。
 





 今日は中心部に中華街があると聞いたので、行ってみる事にした。
トラムかバスに乗ろうとしたが、結局歩いた方がいろいろ見れると思い、歩いた。マンチェスターは住みやすそうに見える、ロンドンに比べてだ。人々もカントリーサイド向きな温厚な人間が多く、親しみやすい感じの良い人が多い。汚いところもあるが、そこは大目に見よう。ホステルの前には巨大なカッターのような鋭いビルがある。

 
ヒルトンホテルだ。いちばん安い部屋でも£255(約30,000円)とユースホステルの15倍もする。因にわがユースホステルは£17(約2,500円)。このホテルに泊まる人はさぞかしユースホステルが小さく、汚く見え、野良犬どもの集まりが泊まるのだろうと、ブランデー片手に高層階から見下ろしているに違いないと思った。





 そんな事を思いながら歩いていると中華街はすぐに着いた。実は僕は中華街デビューだった、横浜の中華街にも行った事が無かった。どんな物かと思うと、割とこじんまりしていてわずか3ブロックくらいのところに中華料理やタイ料理、わずかながら日本料理もあるようだ。日本料理屋は大抵高いので中華のビュッフェなら格安ですむと思い、店に入った。

 店内はおいしそうな匂いが充満しており、いくつもの皿にいろんな料理がのかっていた。席に着くと、中国人のチーフ風の男が当然のごとく中国語で話しかけてきた。「わからない」と言うと「一人?」とだけ英語で聞いてきて、後は勝手にしろと言わんばかりに何処かへ行ってしまった。以前もイギリスに来たときに何度か中華ブッフェを食べたことがある。今回もそうだが、これはまぎれも無く中華料理ではない。
中華風料理と言うべきだろうか。たくさん皿があるがその中でも唯一酢豚や春巻きだけは確認できたが、それ以外は見た事も無い物ばかり、麻婆豆腐やチンジャオロースーといったおなじみの物はもっといい店に行けと言わんばかりの店だ。味もまずかった、こんなので充実できる中国人がいたら教えて欲しい。うまみが一切無い。

 まあ安かったから良しとし、店を出て歩き回る。近くにイギリスではおなじみの大型衣料店PRIMARKがあったので、ちょっと見に行く程度で入った。PRIMARKはイギリスで、というか世界的に見てもここまで価格に挑戦したファストファッションブランドは無いのではないかと思う程価格が崩壊している。日本には進出していないが、もし日本に来たらとんでもない事になるだろう。(自爆する可能性もあるが)

 まず、わりといい薄手のブルゾンが£10(1200円)。無地のYシャツが£5(600円)。デニムに至っては£9がセールで£4(480円)。セールして良いのかと思う程の金額だ。

あまりたくさん買っても仕方ないのでサングラス50p(60円)とポロシャツ£3(360円)を購入。
おそらく1000円で上から下まで揃ってしまうのではないかと思う。気になるのは質だと思うが、やはりそこはファストファッションクオリティだと思う。品質もデザインもそこまで良いとは言えないが品揃えと安さは計り知れない。わずかながら良い物も置いてあるようでツイードのチェック柄のジャケットが£48で売られていた(6000円)。




帰りはトラムで帰る事にした、またわずかながら雨が降ってきた。
トラムは非常に便利だった。


マンチェスターには土曜までいます。









 

2012/08/22

マンチェスター 休息編

8月20日

 ロンドンユーストン駅からVirgin Trainのマンチェスター行きがキャンセルになり1時間遅れで次の電車に乗った。車内は非常に奇麗で、写真を撮るのを忘れたが洗練されていた。喉の調子が悪く、咳とたんがよく出る。もしかしたら風邪かもしれないと思う。






しばらくすると、かなり奇麗な女性が隣りに座る。紅茶を飲みながらサンドウィッチ片手に雑誌を読んでいる隣で僕の咳が止まらない。「すいません」と言うも「全く平気よ」と彼女が言うのが申し訳ない気分になり、咳き込むのをちょっと我慢した。旅行でずっと鉄道で旅しているのが興味を持たれたが、だんだん僕の喉がかゆくなってきた、まずいな。唾を飲んでごまかすも、咳払いして立て直そうとした次の瞬間、のどの奥がさらに奥に吸い込まれるような感覚が襲う。(ようするに吐きそうになる)まずいこのままだと、周りの人に迷惑をかけるし「ああ酔ったんだな」と勘違いされる。口を少し押さえ、思いっきりゴクリとつばとその他を飲み込む事に成功し、事なきを得る。しかしその直後、こんどは胃が信じられないくらい痛くなった。なぜかわからない。胃はおそらく「また戻ってきたのか」と怒り、痛みを放出してるにちがいないと思った。しばらくすると胃の機嫌も直り元通りになるも、喉のかゆみからいつまた吐き気が来るかわからなかった。




2時間後、無事マンチェスターに着き、昨日予約してあったユースホステルを探すも、全くわからない。人々に聞くとタクシーが一番いいと言われ。タクシーを使った。£6。

ユースホステルは水路のほとりにあり、両サイドがレンガ製の鉄道の高架に挟まれ、ホステル自体もレンガで作られていた。とても奇麗な水路に気持ちが落ち着きしばらく長旅の休暇にしようと決めた。



しばらく横になると、今度は肩が激痛に襲われる。こんな痛みは初めてだったので怖いくらいだった。横になっても痛い、寝ながら苦しむ。
左肩も痛いが、より右肩の方が強烈な痛みだ。じたばたしてもしょうがないのでとりあえずアスピリンを飲む事にした。しばらく痛みはつづいたが1時間くらい経つと楽になった。

ふう。よかった。その後強烈な眠気とともに昼寝。


おそらく、バックパックの重みの疲労から来る物だろう。。




起きると夕方になっており、散歩する事にした。
今日はあちこちでパブに人が食いついている、そうだマンUの初戦なのだ。僕もビール片手で観戦する。
「香川を見に来たの?」
地元サポーターはみんなこう聞いてくる。

試合は残念ながら負けたが。ウェルベックが倒された瞬間や香川が後半最もゴールに迫った瞬間は「ヴー!」という低い声がパブ中にこだました。

試合が終わると、客たちはみんな笑顔で会話していた。

「香川サイコーだよ、今日は負けたけど次から全勝だよ」
「チームがまだまとまっていない、だけどルーニーと香川は良かったよ」
「ルーニーと香川が連携したらシティなんかに負けない」


と、嬉しいことに香川絶賛だった。




Distance of 11898km

8月16日

ブリュッセル駅からユーロスターに乗る前ベルギーの出国審査およびイギリスの入国審査がある。以前ユーロスターを乗ったとき鉄道からの入国はそれほど厳しくなかったので、余裕の心境で挑んだ。


しかし、僕の2つ前の日本人が別室に連れて行かれ、僕の前の黒人も別室に連れて行かれた。僕なんかよりは明らかに旅行客風だし、怪しいそぶりも無かったように見えたがどうしたんだろう。だんだんと緊張が高まる、そしていよいよ僕の番だ。

前半は目的等の質問だったのだが、後半は旅程を全部説明してくれと言われイライラした。ホテルを決めてなかったが、ユースホステルに泊まると言ったらなんとかスタンプを押してくれた。


お盆の時期という事もあったのか日本人が多かった気がする、僕の隣りの席も日本人だった。彼は留学中でダブリンから最近ロンドンにやってきたという。それで今回はパリ、ブリュッセル、アムステルダムを1週間旅行してきたそうだ。僕は今までのトラブルをさぞ自慢話のように話し、優越感に浸っていた。いいストレス解消になったが、彼にとっては迷惑な話だったろう。



 話をしていたらあっという間にロンドンに着いた、鉄道11890kmを走破してしまった。ウラジオストクを出発し、実に10日。本当にロンドンまで鉄道で来れたんだと実感し、感動する。しかし、すぐに宿泊先を探さねばならなかった。ホステル等の安宿は残念ながらインフォメーションが開いておらず、キングスクロス駅近くの安宿街を一個一個聞く事にした。£50からはじまり£40が平均というところか、3件くらい周ったあと最後に朝食付きで少々高いが£38のB&Bを発見した。
(約4500円)

久々の熱いシャワーは体に染み渡っていった。一人で寝るのも考えてみれば相当久しぶりだ。ベッドが気持ちよくてすぐに就寝してしまった。





翌朝はB&Bの朝食で腹を満腹にさせてから、散歩がてら10日間洗濯を一切してなかったのでレセプションで教えてもらったランドリーに行った。「洗濯と乾燥で£4か、高いな」仕方ないと思いつつ洗濯した。そこにいたインド系の兄ちゃんのイントネーションにイギリスに来た事を実感しつつ、時間があるので昼ご飯にする事にした。偶然にも目の前は食堂がいくつかあった。パブは昼から大盛況のようだが、メニューは大抵決まっている。となりのちょっと怪しめの食堂に入った。そこはアゼルバイジャン料理だった。汚いメニューにテーブルも奇麗とは言えない。だが奥のコンロから香ばしい匂いが漂ってきた。

よし、ここにしよう。

まず野菜が足りていないので、ノーマルなサラダを注文した、そしてケバブと書かれた欄が気になりラムチョップとリブのミックスに水を注文した。

すぐにサラダが来た。

しなびたレタスに、しなびたオリーブ、固いモッツァレラチーズ、フェタチーズかな?お情けでトマトは普通だったと言えよう。この後の料理が何とも不安になる一品であった。

かれこれ20分くらい待っていたであろうか、さっきとんでもなくでかい肉の塊から切っているのを見てたのでもうそろそろだが、それにしても遅い。

なんだかこの場から一生出れないんじゃないか、なぜかそんな事を思う。


そしてついにケバブが登場した。





サラダが付いていた事はいいとして。肉のうまさは半端無かった。ライスも細長タイプで肉によく合いおいしい。焼きトマトはうまみぎっしりという感じで、あつあつだった。
充実した、値段はちょっと高かったが、シベリア鉄道の食堂車に比べれば全然ましだ。



またしばらく散歩し、カメラの値段を調べ購入を決意し、故障したカメラを郵便局から日本へ送った。トラブルはしょうがない。



ロンドンに留学している元ルームシェアの友人に会ったり、プリマークで下着を買いあさっていたらあっという間に3日間が過ぎた。

明日はマンチェスターへと向かいます。

2012/08/21

Pukkelpop 核心編


あの喧騒からテントが一瞬にして作れたので、少し休んですぐ会場へ行く事にした。

一人のフェスが始まった。会場に入ると、人が考えられない程多く、砂埃が凄く、さらに始まって4時間くらいなはずなのにもうゴミが散乱していた。あちこちに男性用トイレが設置されていてとても臭い。こんな劣悪な環境のフェスは初めてだなと思った。過去にレディオヘッドを見にこのプッケルポップに来た事があるが、ゴミは多かったがここまで劣悪じゃなかった気がする。まあともかく何か見よう。








Snoop Dogg@Main Stage (14:30-15:30)

初めて見たのだが、もの凄くかっこ良かった。伝統的で頑固なHip-Hopという感じ。


Of Monsters And Men@Marquee(15:25-16:15)

これも初めて、アイスランドのバンドで先日ビルボードチャートを賑わしたという。見た目はアーケイドファイアっぽい、ヨーロッパの少女たちが好きそうな牧歌的な演奏だった。シングル曲の異様な盛り上がりに驚いた。



Santigold@Main Stage(17:40-18:30)

最初はなんでこんなやつがメインのいい位置でやるんだよというような、情けないセットと見た目だった。santigoldは歌のみで両サイドに黒人の意味深な緩い踊りが2人、あとベースとドラム、シンセだった。が、途中らへんからそのグルーヴ感とビートにドキドキしてきた、あっという間に体は動いていた。日本にはちょっと来なさそうだなとも思った。曲はDisperate Youthがよかった訳で、後にニューアルバムをすぐに買った。(サマソニ08に来てたらしい)

Hot Chip@Marquee(20:00-21:00)

かなり見たかったが後でも見れそうなので、今回は数曲だけにした。なんといってもドラムがSarah Jonesだったことだ!本当に素晴らしい演奏をする人だ。



ここからライブの核心を書きます。


Bjork@Main Stage(21:15-22:45)

トリ前はBlock Partyで早々と終わったので、モッシュピット行きを決めた。モッシュピットは日本では考えられないくらい空いていたしゴミの量がもはや処理場近い量になっていた。さあ、始まるぞと気合いを入れた。だが、開始直前までモッシュピット内はほとんどのひとが地べたに座っている(因に近年のフジロックのように椅子を持って座っている奴は全体で2人くらいしかいなかった)ぽつぽつ立ち始め、全員が立ったくらいのとき会場のライトが消える。しかし、まだ21時とはいえまだ夕方で明るい、こんな感じでBjorkが見れるのもなかなかないだろう。

bjorkはゴムのチューブを体中に巻き付けたようなドレスで登場した、さぞかし動きにくそうで、頭にはバッハのような髪型の青色のカツラを被っていた。曲の構成はやはりBiophiliaからが多い、過去の曲になると歓声はすごかった。確かに過去の曲になるともの凄く感動した、特にHidden Placeの映像は信じがたい程良かったからだ。どんなものかというと海底の深いところで、ヒトデやウニ、タコといったものがうようよと早回しで動いている。何やらアザラシらしき死骸が映る。その死骸にヒトデやタコたちが口や目からアザラシの中に侵入してく、しかも大量に。やがてアザラシはもぬけの殻になるという映像だった。
確かにHidden Placeだと思った。

電気のながれるおもちゃやスクリーンといった今回は遊びご心が多かった印象を受ける。なかでも、気付かれにくいが遠隔操作のパイプオルガンには驚いた。

「今年最後のライブだからよく見ていてね」
そう言っていた。今年ではなく一生の最後にならない事を願いたい。
フェスのつらさや体力の消耗との戦いもあったせいか、心底感動した。

1.Cosmography
2.Hunter
3.Thunderbolt
4.Moon
5.Hidden Place
6.Unraval
7.Crystaline
8.Virus
9.Heirloom
10.Joga
11.Hollow
12.Pagan Poetry
13.Mutual Core
14.Pluto
15.Nattura
(encore)
16.Possybly Maybe
17.Declare Independence







Nicolas Jaar Live @Casttello(22:30-23:30)

Bjorkも終わり、一息つく間もなくNicolas Jaarへ急いだ。意外にも客は少なく出入りが激しかった。ムーディーなトランペットに浮遊するようなシンセ群に力強いキック。なんとも心地良い音楽だ、体験できて幸せだった。最新のニューヨークを実感した。

Feist@Marquee(23:20-0:20)

なんだかとてもCat Powerが見たくなってしまった。。。

Netsky@Mainstage(23:40-0:40)

クロージングとして出ていたのだが、今まで名前を聞いた事が無かったので、どんなものか見てやろうと思った。
Bjorkよりもお客が多かった事に驚く。そしてライブが始まったのだが、ドラムンベースやトランスが混ざったような感じだった。日本ではこの位置は絶対に無いだろうと思った。











イヤー疲れた!!

テントに入ると、(何も盗まれてなくて良かった)すぐに眠ってしまった。
本当に疲れたフェスだった。結局日本人はおろか、東洋人は一人も見なかった。終始どアウェーな感じでした。


朝起きて、テントを片付けるも隣りの人に手伝ってもらい、昼過ぎに電車に乗りブリュッセルへ戻った。ロンドンまではユーロスターで2時間半。


もうすぐだ。




Pukkelpop 奮闘編


序章。


 目の前に現れたのは、コカコーラやベルギー国鉄やラジオ局などの広告の数々。エントランスにはチケット交換の列が5列くらいあるがどれも長蛇の列。客層は白人の若者がほとんどで男の半分くらいがなぜか上半身裸でスキンヘッドだ。必ず右手にベルギーの国民的ビールJupilerがあることも忘れてはいけない。その長蛇の列に並ぼうとするも、キャンプサイト入り口でもチケットをリストバンドに交換できるという。ならばキャンプサイトまで歩いて行くかという考えになった。チケットは日本からプリントアウトしてきたもので、丁寧にキャンプサイトの位置まで書いてある。

どれどれ、僕はキャンプサイトBだ。

ACDBの順で並んでいて僕のBが一番遠く、地図上で見てもかなり離れていてバスも出ているという。なんだバスがあるなら最初に言ってくれよと安堵な気持ちになるも、バス停前はバーゲンセールのような状態になっていた。僕の周りにも何人かBのチケットを持っている人がいて、こりゃだめだなと言わんばかりに徒歩を決意していたようだ。僕も同じく徒歩を決意した。




歩いても歩いてもCにさえ辿り着かない。一体どうなってるんだ、30分くらい歩いただろうか、やっとCが見えてきた。BはCを超えた先にある。キャンプサイトCの大きさに愕然としながら歩き続ける。バックパックに壊れたカメラ、1Lの水。今すぐすべて捨ててどこかで寝っ転がりたかった。重い、暑い、肩も痛い。心が折れてしまいそうだった。何で僕は一人でこんな事してるんだろう、そんな事まで考えてしまった。


 しばらくすると、ついにBが見えてきた、うれしいというよりもほっとした方が強かった。しかし、すぐまた長い列が。

長い列に並んでいると、放送が流れてきた。フランス語とオランダ語で意味が分からない。周りの客は「オイ!」と落胆と怒りが混ざったリアクションだ。一体何が起きたのか、近くの係員に英語で訪ねると、驚愕の事実が。

「このキャンプサイトは一杯になってしまいました。そのチケットでAに行ってください、バスはここから出てますので」


えええ?


また戻れというのかこいつは。そりゃ無いよと言ってしまった。しかしAはゲートのすぐ目の前で実は会場とのアクセスがすごくいいのだ。まあ棚から牡丹餅だと思うか。そしてすぐにバス停へ行くと。。。



衝撃的な光景だった。



数百人の人が押し合い圧し合い、わずかなバスの隙間へ我先にと争奪戦になっている。しかも並んでいるならまだしも、来るバスを取り囲みバスに対して半円になるように並んでいた。ここまで来てもう歩いては戻りたくない。ここに並ぶしかない。そう決意したのち圧死しそうなくらい押され体力も限界に近づこうとしていた。東洋人や黒人が一切いないせいかアウェー感がすごい。どこかで小競り合いがあったようだ。怒鳴り声が聞こえる。そしてバスが10台目くらいでやっと中に入れた。

さすがに疲れすぐに眠っていまいそうだった。バスはなぜか遠回りをして20分くらいかけ会場前に着いた。やっとキャンプサイトに入れる、誰もがそう思ったに違いない、しかし修羅場はここからだった。

またしてもBからあふれてきた人たちでAの前には数百人の人間が待っている。しかし、20分、30分経っても何も変化が無い。その間Aのチケットを元々持っていた人はすらすら入って行く、横目で我々は指をくわえていた。そして、待ちきれない上半身裸の若者が缶やペットボトルを投げ始める。指笛ブーイングも一斉に始まった。ヤバいなと思った、次の瞬間。関係者がおそらく

「待ちなさい、暴れると中に入れさせないぞ」

という感じの事をおそらく言った。さらに10分くらいたったであろうか、若者たちの一部が興奮し発煙筒を何処からか持ってきて点火してしまった。缶やペットボトルやゴミも投げられる。ついにこれはまずい、なんかのデモに参加しているのではないか、だとしたらなんのデモだろう。まあそんなことはどうでもいい、とにかくヘタしたら怪我するかもしれない。だが若者たちは近くにいる馬に乗った警察官によって取り押さえられ、その場が収拾された。その直後にようやく奥の方に案内され、最寄りの駅に着いてから実に4時間後にテントが建てられたのだった。




もう寝て明日帰ろうかな。
う思ってしまったのも過言ではない。




つづく

タリス、タリーズカフェ


 

 久々の料理に感動し、満足げに部屋に戻るとオランダ人の親子と老婆そして青年がいた。
それぞれ、黙々と本を読んだりする中、青年がこどもとチェスを初めて盛り上げっているのだが、残念ながら僕はできないので傍聴するのみだった。老婆は常に分厚い本を読んでおり、たまにどこかへと行っては戻ってくる。トイレが近いのだろうか、その後特に会話もなく時間だけが過ぎて行った。外は暗くなり洗面台へ行き、歯を磨き外の景色を見る。列車は今までに比べ揺れも少なくよくできていた。ポズナンをすぎるとドイツはもうすぐだ、寝ている間にベルリンは通り過ぎるだろう。ふと、車両のつなぎ目を見ると、なんと同室の老婆がタバコを吸っていた。よく部屋から出て行くと思ったら、タバコを吸っていたなんて。トイレが近いのを心配した僕が馬鹿だった。

 ケルンには朝6:20くらいに着くのだが、起きれるか心配だった。だが幸運にも5時半に目が覚め、準備をするも列車が遅れている事を知る。20分遅れで次のケルンでタリスに乗り換えるのだが1分くらいしか乗り換え時間がない。焦ってもしょうがない。

しばらくしてケルンに20分遅れで着く。いい街の景色なのだがホームと階段で走る。タリスにギリギリ乗車した。中はしゃれたカフェのようなデザインで、色は奇抜なピンクや赤紫が主体となっている。しかも乗り心地もいい。TGVのようなルックスでヨーロッパらしい重厚なデザイン。ブリュッセルまでの2時間は快適だった。












 ブリュッセルに着いたが、先ずしなくてはならない事があった。今日の宿はまだ決まっていない。これからプッケルポップというフェスに行くのだが、テントはかさばるので持ってきていない。しかし、会場はブリュッセルから鉄道で約1時間半。困ったなあ。

結局モールを探し、テントを買う事にした。地下鉄に乗り、6駅くらいで降りたころにモールがあった。
テントを探すのは容易かった。目の前に大きなスポーツショップがあったからだ。テントは激安の物で€25(約2400円)が最安でそれに決めた、最近主流のかさ張るがワンタッチのテントだ。



それを手にして、いざプッケルポップの会場へと向かう事にした。駅で列車のチケットを買い、すぐに列車に飛び乗り約1時間半、ブリュッセル郊外のハッセルトの隣り駅、キーウィットに着いた。周りはバックパックやテントなど大きな荷物を持った人間でいっぱいだ、みんなプッケルポップへ行くのだろう。会場は駅から徒歩5分くらいなのだ。


このプッケルポップ、体力的にも精神的にも大きなダメージを受けるとはこの時は知る由もなかった。



じゃあ今日はこの辺で。

ワルシャワへの道



いろいろな夢を見た。おそらく寝心地が最悪なせいもあるだろう。

 ある土地で大量に吹き出した石油を大勢の人間と一緒に電車で油田に向かっているという話だった。あまりにも現実のような夢だったので、目覚めた瞬間焦ったものだ。

外の風景に目をやると、相変わらずのどんよりとした景色だった。それでも首都ミンスクに近づくとビル等が増えてきたが、共産主義時代の面影が色濃く残る。同室のおばさんとその娘は、カザフスタンから来たようだ。娘もあまり英語は喋れないので、会話は特にせず3人並んで僕は音楽を聴いたり本を読んだりし、おばさんは編み物をし、娘は漫画を読んでいた。


昼過ぎに国境の街ブレストについた。ここでは旧ソ連とヨーロッパのレールの幅が異なるため、列車に乗りながら車両基地に入り台車を換えヨーロッパのレールの幅に合わせるという大掛かりな物だった。レールの幅はロシア、ベラルーシは広軌と呼ばれやや広く、ヨーロッパは標準軌という日本の新幹線と同じレールの幅になる。(JRはさらに狭い)しかし、その前にベラルーシの出国審査が列車内で行われた。

パスポートを見せるまでは良かったが。カザフスタンの親子はそのまま返されたのだが、僕だけ「こっちに来い」と廊下に呼び出された。ドキドキしたが、顔をまんべんなく見られ。よしと言わんばかりにパスポートを返してくれた。よかった。その後、馬鹿でかい犬が部屋中の匂いを嗅ぎ、犬が去ると終わった。

さあレール幅の交換だと、食いついて外を見るも、なぜか急停車急発進の微調整が多く、しかも見ていて進展がよくわからないので退屈になった。3時間もその作業を繰り返し出発。反対側のレールはどうなってるんだろう?

ん?






違いは全くわからなかった。


とにかくポーランドに入国した。初めてのポーランドはどんなものか気になった。
すると、外の風景は驚く程変わっていた。

小綺麗で可愛らしいカラフルの屋根の家。庭が広く、きちんと手入れされていて横にフォルクスワーゲンなんかが停まってる家。背の高いポプラ並木。田園風景。そうだ、これがヨーロッパなんだ。今までとの地域が変わったことに手に取るように感じられた。

そう思って食事の方に期待に胸が膨らんだ。夕方17:40にワルシャワWschodonia駅に着く、ここで僕はアムステルダム行きに乗り換えドイツのケルンまで行く。時間が1時間程あるので何か食べようと思った。朝からスニッカーズしか食べていなかった。しかもここ1週間まともな料理を食べていない。うーん、新鮮な野菜の入ったサンドイッチでもいいと思い駅のコンコースへ行く。コーヒーのいい香りがしてきた。

建物は近代的でコンクリート打ちっぱなしのようなデザイン。そのまま匂いにつられコーヒーとサンドイッチを注文する。が、「xxx ズロチになります」しまったユーロとルーブルしか持ってない
「ユーロ使えますか?」
「ごめんなさい」


悔しかった。お金を持っていて食べ物を買えないなんてそんな経験なかったからだ。仕方なくホームへ戻ると、アムステルダム行きがすでに停まっていた。僕の部屋まで行くと、今回の部屋は6人部屋で、3段ベッドが2つ向かい合っている。しかし、列車自体は最近の物でしかもドイツ製らしく、非常に機能的で合理的で快適そうだった。

とりあえず先頭の写真を撮ろうと外に出ると、一番前の車両にBARそしてCAFEの文字が。食べ物にありつけるかもと思い中へ急いだ。ドアを開けると『料理』の匂いがした。それは肉の香りか、はたまた揚げ物の匂いかわからない、とにかく料理が食べたい。店員に訪ねると、「ドイツ語?ロシア語?英語?」と訊かれ、まず言語から選択しなくてはならなかった。前菜を選ぶかのように英語と答えると



「今はディッシュ(セットのことかな)がおすすめなんです、チキンかビーフかフィッシュ」
「チキンで」
「少々お待ちください、ビールは如何?」
「水ください」
「了解」

そして数分後、料理が来た




それは大きめの平らな皿にコールスローとゆでたポテトに紫キャベツのピクルス、そしてその上に大きなチキンカツレツがどんと乗っかっていた。
何も言わずチキンをフォークとナイフで口に入れる。ジューシーすぎて口の中はびっくりして、おいしすぎて泣きそうになった、本当に感動した。コールスローもピクルスも手作り感がありおいしい。ポテトもあつあつで申し分ない。こんなにおいしい料理にありつけたのは何年ぶりだろうと思わずにはいられなかった。




おいしい料理にありつけた祝杯としてビールかロックのウイスキーを頼んでしまおうかと思ったがやめた。


2012/08/19

シベリア永遠の旅(後半)


8月13日,6日目

もう鉄道に乗り続けて5泊もした。洗濯もやろうと思えばシャンプーのそれと同じ方法でできるのかもしれないが干す能力に欠けてるので懸念していた。相変わらずフェイスシートや寝る前にトイレでシャンプーするのは変わらない。だが、不思議な事に湯船につかりたいとか日本食が食べたいとか、ふかふかのベッドで寝たいなどはあまり思わなかった。

部屋は急に冷房が効きすぎてシベリアの冬を垣間見えることがあったり、逆に全く冷房が効かなくて寝苦しい事もあった。そもそもベッドが固く狭いため体勢を決めるのが難しい。だが夜の寝台列車の魅力はゆりかごのような揺れが気持ちいいことと、夜の外の景色がすばらしいことだ。星は相変わらず奇麗で流れ星もかなり見た。今まで来た事もない所の夜の風景というのはとても興奮する、自分の足だったら道がわからなくて遭難するだろうが、ここは電車の中。なにもない大平原の傍らにポツンと明かりが灯っていて、人が住んでいる家があったりする。

「ああ、こんなところにも人が住んでいるんだなあ」
と寅さんと同じ事をふと口にした。



今日は、ノボシビルスクで乗ってきたロシア人青年のシャミルとその友人とたくさん話した。シャミルとアレックスが英語を多少話せるので会話はできた。なかでも一番盛り上がったのがお金の話で、日本ではこれはいくら?とかロシアではいくら?という質問である。変換アプリを使っていろいろ質問し合った。
東京の家賃の反応は凄かった、平均6万円くらいだと彼らに伝えると、頭を抱え雄叫びを上げ、発狂するのではないかという反応だった。

因みに2人はロシア第4の都市であるというニジニノブゴロド出身であるが、そこのアパートは大体7000円くらいだという。こんどは僕が安さに驚く番だった。たしかに物価も安いけどこんなに安いんだったら大分貯金できるよな。そう思ったが次の質問によって打ち砕かれた。

彼は唐突に「君は毎月給料いくらもらってるの?」と訊いてきた。
3人のロシア人は目をキラキラしながら僕の回答を待っている。
「わかった、日本人の平均月収をおしえるよ、それでいいかい?」
「いいよ!」
大体30万円くらいかなと思い、ルーブルに変換してそれを見せた。

断末魔のような叫びが部屋に轟く。

彼らは興奮して僕にロシア語であれこれ質問してくるがわからない。
落ち着いてから聞くと、そんなにもらってどうするの?俺も日本に行きたい!
というものだった。
その後、ロシア人の平均月収を聞いてやはり驚いた。
大体7万円くらいだという、それで十分だと彼らは言う。ここでは確かにそうかもしれない。そう思った。


ドイツ代表のエジルのシャツを着ている25歳のシャミルは奇麗な奥さんもいて、仕事はエンジニアで副職は模型づくりをしている。愛犬のドーベルマンと愛車の韓国車でドライブをしたり趣味であるウサギの飼育のためにあれこれ買い物をするのが好きなのだと言う。

「へえウサギの飼育かあ。かわいいなあ、おもしろい?」
「子供が生まれたときはうれしいよね」
「いっぱい飼ってるんだね」
「うん、でもある数で調節してるからね」

調節?

「ウサギはやっぱり食べるときが一番だよ」
「えーーーーーーー!!!!」

思わず頭を抱えた。ウサギの飼育だなんて可愛らしい趣味だと思っていたから、あまりにもイメージが逆転してしまった。まさかそれをステーキにしたりスープにしたりして食べているとは思わなかった。

「え!?日本ではウサギ食べないの?」
「ウサギ飼ってる人はいるけど、それを食う奴なんていないよ」
「えーおいしいのに、君も是非食べてみたら」

今自分がシベリア鉄道でモスクワに向かっている事を忘れた瞬間でもあった。








7日目

いよいよ長旅も今日で終わる。

そう、モスクワにようやく着く。
長いようで短かった。

だんだんと風景もヨーロッパらしい風景が続くようになった。そんな中ユリコちゃんが予定を変えてシャミルたちの家のあるニジニノブゴロドで降りて行った。モスクワは明日いくとの事だ。どうか気をつけて旅をしていってもらいたい。
コウジ君とふたりになり、モスクワまで極力体力を使わないようにした。







人々は今までとは違い都会的な冷ややかな表情が多い。約20年前、ここらではあちこちで長い行列ができ何時間もでかけてパンやミルクにありつけたという。そうここはモスクワ、遂に9388kmシベリア鉄道を乗り切ったのだ。

モスクワは肌寒い、人々もやや怖い印象を受ける。地下鉄の駅の建築に圧倒されたものだったが、それよりもホームに降りてくる大量の人々の波が東京のそれとは違いもっともっと温度が低いように感じられた。かなりショックを受けた。
地下鉄内は殺伐としていて、恐怖感も抱きざるを得なかった。
その後久々にネットに繋ぎ、下界に戻ってきたことを実感する。コウジ君と別れ、僕は数時間後モスクワ、ベラルーシ駅からプラハ行きの夜行に乗らなくてはならない。

赤の広場、クレムリンを目の前にし、カメラを取り出す。

ピントが合わない。様子がおかしいぞ。

落ち着け

次の瞬間、完全に光に反応しなくなり。使い物にならなくなった。
カメラはもうあきらめよう。とにかく、駅へ急ごう。酷く疲れていた。


今日はカップ麺一個とさっき食べたスニッカーズだけで、お腹も減っているはずだが、なぜか減らない。
駅に着くと、人々がだだっ広い広場に座っている。ベンチという物が一切無いのだ、仕方なく花壇で座る。

ショックは大きかった、カメラは相変わらず調子が悪く反応も悪い。列車は出発までかなり時間がある。売店で何か買おうとするも長蛇の列。コーラを飲みながら俯きかげんで音楽でも聞こうと思いradioheadのidentikitを聞く。なにやら僕の前で子供が走っている、ぱっと見ると白人の5、6歳の女の子がこちらをずっと見て笑いながらぐるぐる走り回っている。とてもかわいかったので、ずっとみていると近寄ってきて手を差し出してきた、何かと思うと飴をくれた。この子は天使の生まれ変わりかなんかじゃないのかと思う程かわいかった。

近くに野獣のうような父親がいて人間の子だと理解した。父親が何処から来たのと質問してきたので、日本からだと言うと、我々はプラハへいく途中なんだという。そうか、この列車はプラハ行きなのか。僕はワルシャワで乗り換え、ケルン、そしてブリュッセルまで行く。

列車に乗り込むと今までとは部屋の形状が大きく変わり3人1部屋でひとつの3段ベッドしかなく、車両もシベリア鉄道よりだいぶ古く重い空気だった。僕は一番下なので快適だと思っていると、おばさんがやってきた。ロシア語で何やら娘と困った口調で話している。そうか、このおばさんは一番上だから登れないのか。
そう、はしごもなく登りづらそうなのだ。

これも経験だと思い、「変わりましょうか?」と訊くと。
やはり英語がわからないらしい。
ジェスチャーで「ボク、上に寝る。アナタ、下に寝る。オーケー?」
理解したらしくとても喜んでいた。

しかし、3段ベッドの一番上はアスレチックかのごとく、よじ上るのが大変な上にベッドの上で顔を傾けないと座れない。しかも荷物棚にはなにやら虫の死骸が。見なかった事にして寝る事にした。




明日はベラルーシに入る、ワルシャワに早く行きたいと思った。




この旅行初めて先を急ぎたい気持ちになった。






2012/08/18

シベリア永遠の旅(前半)

朝起きると、いつの間にか僕の部屋にいた隣りのロシア人は身支度していた。

間もなくハバロフスクに着く。
廊下に出るとリサがいて、ホームに日本人らしき人がいるよと言っている。見ると、大きな荷物の青年が歩いていた。リサは彼の鞄のチャックが全開だったことに笑っていた。部屋に戻るとその青年が何と僕の部屋と同じだったのだ、聞くとやはり日本人で大学生だと言う。コウジ君はモスクワで1泊し、その後ベルリンを経由してプラハへ。1ヶ月ほどの旅だという。

日本人がモスクワまで一緒とは思わなかった。いろいろと助かるかもしれないと思った。

16時に1000kmを超えた。意外と早いペースかもしれない。

コウジ君はいろいろな人に話を掛けては部屋に連れてきたり、酒を飲んで帰ってきたりしていた。そんな彼は鉄道マニアで、現在の距離や時間のチェックも怠らない。
3等と1等にもどうやら日本人がいた、小学校の先生のコウイチさんと金沢から旅行できたという亀岡さん夫婦たちだ。日本人の乗車率が高く驚いた。






3日目、9時起床。
朝目が覚めると頭がかゆい。仕方なく、臭いけどトイレの洗面台でシャンプーする事にした、この先これが鉄道旅行の定番行動となる。トイレでのシャンプーは意外にも開放感があっていい、シャンプーしてて急に腹痛が襲ってきても対応できる。

この日はとても有意義な時間が過ごせた。話す相手もさほどいないので、親しい友達のように乗客と話した。リサさんはなんと室伏広治の大ファンで、好きでたまらなく彼に彼女がいないか聞いて欲しいと言う。
室伏のファンなんて日本でも聞いた事が無かったので、笑いが止まらなかった。コウイチさんとは小学校の現在の様子を細かく教えてくれた。
ソニャとはいろいろな話をした。スイスのことや、なぜか軍や核や地震の話やなぜ原爆が落とされたのかなどなど。彼女は心理学者を目指しており今は精神科医で働いているという。僕がチューリヒに行く時に合う約束をした、彼女には彼氏がいて僕も同様に彼女を日本に残している事からお互いのパートナーを見たいということになり、ちょうど彼女もチューリヒに来る。楽しみになってきた。

夜はみんなで食堂車で食事をしたが以外と900p(2400円)くらいしてしまった。味の方は悪くはなかったが、大散財とんってしまった。
もうカップラーメンだけで行こうと決意する。


4日目、8時起床。朝ご飯は韓国製カップヌードル(70円)と駅で買ったキュウリとトマト。いよいよサバイバルな感じになってきた。途中の駅では決まったものしか買えないのでメニューはほとんど決まってしまう。カップヌードルにインスタントマッシュポテト(結構いける)、インスタントパスタ(信じられないくらいまずい、麺がペヤング)たまに野菜が売っている程度である。



今日はウランウデでリサさんとソニャが降りて行った。とても悲しかった。






山岳地帯を超え、バイカル湖、イルクーツクをすぎてから工場や家が多くなってきた。しかし、依然として廃墟の数が多い。たまについ先日まで戦争をしていたと言われても信じてしまうような廃墟群があった。さすがに恐怖を感じる。
となりにシュトューパという少年がやってきて、ipadをいつもいじっている。お金持ちなんだろうな。


5日目 7時起床
だんだんと起きる時間が早くなっている。夜更かしをしていない事もあるが、大きな原因は時差が毎日1時間戻るからだ。ウラジオストクとモスクワは同じ国なのに7時間もの時差があり、1日ずつ前に1時間戻るのである。ということは、シベリア鉄道に乗っている者は全員一日25時間あるということだ。

相変わらずインスタント食品を食う。アレックスというロシア人の青年と仲良くなる。

ノボシビルスクに着くと、となりのシュトューパくんとその母親が降りて行った。




つづく







ウラジオストクの番長に別れを告げて

ロンドンに到着しました。
ユーラシア大陸を鉄道で10日間駆け抜け、11890kmも走った。

それは今までに感じた事の無い、長い長い鉄道の旅だった。
ユーロスターはゆっくりとロンドン セントパンクラス駅に着いた。

本当にロンドンまで鉄道で来てしまったのだ。






日記は8日に戻ります


8月8日

大学生のユリコちゃんは車でロシア人の友人と大きな橋を見に行ったので
スイス人のソニャと灯台へ行く事にした。
ホステルからバスに乗りわずか5分で終点なので、そこから歩いて20分くらいで灯台に着いた。途中、街が一望できる丘があり、ウラジオストクを眺めた。
廃墟が多く、バスも中古の韓国製で車はみんな中古の日本車だった。
かつて、ここは秘密都市的な軍港であり日本人は10数年前まで入る事ができなかった。そんな事を思うと今は近代化に勤しんでる途中で、未完成な都市ともとれるし、もう開発しても観光には向いてないと投げやりになった街とも見える。そういえばAPECがもう少しで開催するそうだ。

 その後いよいよウラジオストク駅に行き出発を待った。
駅のホームにある9388kmというモスクワまでの距離のモニュメントを見て期待と不安を覚える。列車が到着し乗り込もうとしたが、車掌がチケットにしろとロシア語で言う、チケット交換所に行くとしなくて良いと言われる始末。結局駅員のじいさんが間違っていた。ようやく中に入ると2等の寝台は非常に奇麗で快適そうに見えた。

22時半頃出発。
さっきの車掌に無理矢理菓子や紅茶を買わされた事を除けばなかなか想像してたものより快適にモスクワまで行けると想像した。(結局紅茶類は後で重宝した)
2等は4人部屋なのだが1等は2人、そしてユリコちゃんとソニャはなんと3等(クラツカルという)であった。個室ではなく無く横に2段のベッドと縦にも2段のベッドがある、とにかく人口密度がすごい、2等と空気が違う。旅行、出稼ぎ、軍人、アル中、よくこれでモスクワまで行けるもんだと感心してしまった。

部屋に戻ると廊下で英語で話しかけられた。ニュージーランド出身で今はアイルランド在住のリサさんだ。彼女はロシアでは英語が全く通じなくて我々と同じく困っていたそうだ。
英語が話せる人がいただけで、良かったと思ったが残念ながら彼女はウランウデという3日後に止まる駅で降りるという。さっそく知り合いができ、これからが楽しくなる予感がしたところで寝る事にした。

部屋を暗くし窓の外の景色を眺める。

星がとてもよく見えてきれいだった。北斗七星が場所を間違えたのではないかと思うほど星と星の感覚が開いて見えた。辺りは平原が続き目が慣れると丘や山などがよく見えた。とある駅で貨物列車が休んでいた、貨物のほとんどがガソリンや重油でそれも見た事の無いくらい大量だった、80両くらいはあった。それらを眺めながら1日目を終えた。







つづく



2012/08/07

世界ふれあいウラジオストク街歩き [2日目]

旅行2日目。

ウラジオストクの夜が開けた。
かもめが飛ぶ中なんと部屋から海が見えた。

あまり奇麗な景色ではなかったのだが、
旅のはじまりの宿から海が見えるというだけで感動した。それだけで旅に出てきた甲斐があるような気がした。


朝ご飯を食べようとすると、なんと日本人の女の子がいた。
こんな10人ほどしか泊まれない宿に日本人がいたのにもびっくりだが、彼女は僕が通りたかったフェリーで韓国を経由するルートで来たという。うらやましかったが、なんと彼女もモスクワまで同じシベリア鉄道のロシア号に乗ると言う。その後、友人と合流しサンクトペテルブルクを経てカザフスタンに行き...

なんともパワフルな子だ。

さらに、そこにいたスイス人のソニャさんも同じ列車に乗ると言う、彼女は途中で降りて
一人でキャンプをし、モンゴルのウランバートルを経由して北京に行きスイスへ帰るらしい。女性一人でよくもそこまでいけるものだと感心した。






これから彼女らは、昨日船で知り合った15歳のロシア人とウラジオストク観光をするようだ。ご一緒にと言われたので邪魔じゃなければと思ったが、快諾した。このようなチャンスは二度と無いからと思ったからだ。彼女らは当然のように1時間遅れで来た。ヤナちゃんとその友達はウラジオストク出身でこの間まで日本に観光に来ていたらしい、日本語を勉強しているという事で辞書持参だった。


市場や港、博物館へ行った。
食堂へ行き市民の味も堪能した。今日出会ってなかったら一人では行けてなかったと思い、ヤナちゃんらに感謝した。

いよいよ明日こそシベリア超特急、いやシベリア鉄道のロシア号に乗る。


1週間缶詰になるので来週はシベリア鉄道総集編ということでよろしくお願いします。




では、今日撮った写真でも






観光スタート!


バス。90円くらい



食堂


いろいろ頼んで200ルーブル(450円)くらいかな。申し訳ないがおいしくなかった。

ボールの中で遊ぶ少女


噴水



博物館


虎と熊のハグ


お偉いさん


野犬多し



次回、シベ超編 乞うご期待