2012/08/19

シベリア永遠の旅(後半)


8月13日,6日目

もう鉄道に乗り続けて5泊もした。洗濯もやろうと思えばシャンプーのそれと同じ方法でできるのかもしれないが干す能力に欠けてるので懸念していた。相変わらずフェイスシートや寝る前にトイレでシャンプーするのは変わらない。だが、不思議な事に湯船につかりたいとか日本食が食べたいとか、ふかふかのベッドで寝たいなどはあまり思わなかった。

部屋は急に冷房が効きすぎてシベリアの冬を垣間見えることがあったり、逆に全く冷房が効かなくて寝苦しい事もあった。そもそもベッドが固く狭いため体勢を決めるのが難しい。だが夜の寝台列車の魅力はゆりかごのような揺れが気持ちいいことと、夜の外の景色がすばらしいことだ。星は相変わらず奇麗で流れ星もかなり見た。今まで来た事もない所の夜の風景というのはとても興奮する、自分の足だったら道がわからなくて遭難するだろうが、ここは電車の中。なにもない大平原の傍らにポツンと明かりが灯っていて、人が住んでいる家があったりする。

「ああ、こんなところにも人が住んでいるんだなあ」
と寅さんと同じ事をふと口にした。



今日は、ノボシビルスクで乗ってきたロシア人青年のシャミルとその友人とたくさん話した。シャミルとアレックスが英語を多少話せるので会話はできた。なかでも一番盛り上がったのがお金の話で、日本ではこれはいくら?とかロシアではいくら?という質問である。変換アプリを使っていろいろ質問し合った。
東京の家賃の反応は凄かった、平均6万円くらいだと彼らに伝えると、頭を抱え雄叫びを上げ、発狂するのではないかという反応だった。

因みに2人はロシア第4の都市であるというニジニノブゴロド出身であるが、そこのアパートは大体7000円くらいだという。こんどは僕が安さに驚く番だった。たしかに物価も安いけどこんなに安いんだったら大分貯金できるよな。そう思ったが次の質問によって打ち砕かれた。

彼は唐突に「君は毎月給料いくらもらってるの?」と訊いてきた。
3人のロシア人は目をキラキラしながら僕の回答を待っている。
「わかった、日本人の平均月収をおしえるよ、それでいいかい?」
「いいよ!」
大体30万円くらいかなと思い、ルーブルに変換してそれを見せた。

断末魔のような叫びが部屋に轟く。

彼らは興奮して僕にロシア語であれこれ質問してくるがわからない。
落ち着いてから聞くと、そんなにもらってどうするの?俺も日本に行きたい!
というものだった。
その後、ロシア人の平均月収を聞いてやはり驚いた。
大体7万円くらいだという、それで十分だと彼らは言う。ここでは確かにそうかもしれない。そう思った。


ドイツ代表のエジルのシャツを着ている25歳のシャミルは奇麗な奥さんもいて、仕事はエンジニアで副職は模型づくりをしている。愛犬のドーベルマンと愛車の韓国車でドライブをしたり趣味であるウサギの飼育のためにあれこれ買い物をするのが好きなのだと言う。

「へえウサギの飼育かあ。かわいいなあ、おもしろい?」
「子供が生まれたときはうれしいよね」
「いっぱい飼ってるんだね」
「うん、でもある数で調節してるからね」

調節?

「ウサギはやっぱり食べるときが一番だよ」
「えーーーーーーー!!!!」

思わず頭を抱えた。ウサギの飼育だなんて可愛らしい趣味だと思っていたから、あまりにもイメージが逆転してしまった。まさかそれをステーキにしたりスープにしたりして食べているとは思わなかった。

「え!?日本ではウサギ食べないの?」
「ウサギ飼ってる人はいるけど、それを食う奴なんていないよ」
「えーおいしいのに、君も是非食べてみたら」

今自分がシベリア鉄道でモスクワに向かっている事を忘れた瞬間でもあった。








7日目

いよいよ長旅も今日で終わる。

そう、モスクワにようやく着く。
長いようで短かった。

だんだんと風景もヨーロッパらしい風景が続くようになった。そんな中ユリコちゃんが予定を変えてシャミルたちの家のあるニジニノブゴロドで降りて行った。モスクワは明日いくとの事だ。どうか気をつけて旅をしていってもらいたい。
コウジ君とふたりになり、モスクワまで極力体力を使わないようにした。







人々は今までとは違い都会的な冷ややかな表情が多い。約20年前、ここらではあちこちで長い行列ができ何時間もでかけてパンやミルクにありつけたという。そうここはモスクワ、遂に9388kmシベリア鉄道を乗り切ったのだ。

モスクワは肌寒い、人々もやや怖い印象を受ける。地下鉄の駅の建築に圧倒されたものだったが、それよりもホームに降りてくる大量の人々の波が東京のそれとは違いもっともっと温度が低いように感じられた。かなりショックを受けた。
地下鉄内は殺伐としていて、恐怖感も抱きざるを得なかった。
その後久々にネットに繋ぎ、下界に戻ってきたことを実感する。コウジ君と別れ、僕は数時間後モスクワ、ベラルーシ駅からプラハ行きの夜行に乗らなくてはならない。

赤の広場、クレムリンを目の前にし、カメラを取り出す。

ピントが合わない。様子がおかしいぞ。

落ち着け

次の瞬間、完全に光に反応しなくなり。使い物にならなくなった。
カメラはもうあきらめよう。とにかく、駅へ急ごう。酷く疲れていた。


今日はカップ麺一個とさっき食べたスニッカーズだけで、お腹も減っているはずだが、なぜか減らない。
駅に着くと、人々がだだっ広い広場に座っている。ベンチという物が一切無いのだ、仕方なく花壇で座る。

ショックは大きかった、カメラは相変わらず調子が悪く反応も悪い。列車は出発までかなり時間がある。売店で何か買おうとするも長蛇の列。コーラを飲みながら俯きかげんで音楽でも聞こうと思いradioheadのidentikitを聞く。なにやら僕の前で子供が走っている、ぱっと見ると白人の5、6歳の女の子がこちらをずっと見て笑いながらぐるぐる走り回っている。とてもかわいかったので、ずっとみていると近寄ってきて手を差し出してきた、何かと思うと飴をくれた。この子は天使の生まれ変わりかなんかじゃないのかと思う程かわいかった。

近くに野獣のうような父親がいて人間の子だと理解した。父親が何処から来たのと質問してきたので、日本からだと言うと、我々はプラハへいく途中なんだという。そうか、この列車はプラハ行きなのか。僕はワルシャワで乗り換え、ケルン、そしてブリュッセルまで行く。

列車に乗り込むと今までとは部屋の形状が大きく変わり3人1部屋でひとつの3段ベッドしかなく、車両もシベリア鉄道よりだいぶ古く重い空気だった。僕は一番下なので快適だと思っていると、おばさんがやってきた。ロシア語で何やら娘と困った口調で話している。そうか、このおばさんは一番上だから登れないのか。
そう、はしごもなく登りづらそうなのだ。

これも経験だと思い、「変わりましょうか?」と訊くと。
やはり英語がわからないらしい。
ジェスチャーで「ボク、上に寝る。アナタ、下に寝る。オーケー?」
理解したらしくとても喜んでいた。

しかし、3段ベッドの一番上はアスレチックかのごとく、よじ上るのが大変な上にベッドの上で顔を傾けないと座れない。しかも荷物棚にはなにやら虫の死骸が。見なかった事にして寝る事にした。




明日はベラルーシに入る、ワルシャワに早く行きたいと思った。




この旅行初めて先を急ぎたい気持ちになった。