2012/11/24

Laetitia Sadier@Orangehouse,Munich




130km/h制限でブレーキを踏む。



ミュンヘンには真っ暗闇の夕方6時に着いた。僕には一生似つかないベンツくんを道端に放置駐車してホテルにチェックインした。





今夜は僕の生涯で一番好きなバンドであるStereolab(ステレオラブ)のボーカルのLaetitia Sadier(レティシア・サディエール)のライブを見に行く、値段は€17。現在ステレオラブは無期限の活動中止中で、かれこれもう3年半が経っていた。ボーカルのレティシアはソロ活動をスタートさせ、この3年で2枚のアルバムを出した。今回のツアーは今年出したアルバムを引っさげてのツアーである。当然と言うべきか日本にはくる予定もなさそうなので、このタイミングで見る事に決めた。

会場はミュンヘンの市街地から離れたところにあるOrangehouseという所だった。2つのフロアがあるそうで、レティシアは小さい方のフロアだそうだ。プリントしたチケットを見せ中に入ると200人でいっぱいになりそうなくらい小さい会場にはまだ10人くらいしかいない。ビールを飲みながら鑑賞する事に決めた。ドイツの生ビールは安いしどれを飲んでも本当にうまい。ほろ酔いになったところでステージ後方のバーで飲んでた男がアコギ片手にステージに上がり演奏をし始めた。






  アコギは寂しさも含まれた感じだが、メロディはたまにキャッチーで飽きさせなかった。CDも売っていたが買うのを忘れてしまったのが残念だ。

お客さんが少ないので絢子氏の隣に誰かが移動してきたのが目についたので見てみると、なんとレティシアだった。前座の彼が終わる頃にはもういなくなっていたが、あのステレオラブのレティシアがここにいる。と僕だけが興奮していた。







前座の彼が終わり、ついにレティシアのバンドが現れた。ドラムにベース、レティシアのギターの3人構成だ。時折、ドラムがシンセを弾いていた。




ライブの方は想像以上に素晴らしく、もう感無量で一杯になっていた。本家ステレオラブのライブは2009年の一度だけしか見ておらず、しかもその時はここまで彼らのことに興味を抱いていなかったのもあるので実質今回が初めて真剣に生のレティシアを見れた。

レティシアの歌声は劣るどころか、以前よりさらに美しく耳に響いてきた気がする。彼女の左利きのギタープレイはプロの腕前という感じではなく、一応弾けるという程度の腕前なのだが、それも愛嬌からかほかのメンバーの腕があるためか良いスパイスとなっていた。














 客の数は少なく、ステレオラブの曲も残念ながらやらなかったが、盛り上がり充実したのは間違いない。ライブが終わるとレティシアがサービスなのかグッズ販売のところにやってきた。

これはレティシアと話す一世一代のチャンスだと確信した。しかし、驚いた事に僕の体はガクガクに緊張し始めた、こんなに緊張したのは久々だしこのままでは良い判断が下せない。気を落ち着かせながら、手の空いたレティシアに写真撮影を申し込んだ。気さくに彼女は一緒に撮ってくれたが、僕は緊張で言いたい事がうまく口から出てこない。


結局日本から来ましたと言うと、
「日本?ありがとう。日本でプレイしたいわ。日本のどちらから?」「東京です」
「ライブで何度も行ったわ」。。。


「See you in Tokyo」















サインしてもらうと、僕はもう頭の中が爆発しそうなくらいオーバーヒートしていたので、それを冷ます必要があった。Bat For Lashesのナターシャの時のようにすらすらと会話ができなくて残念だったが、僕は今までに感じた事の無いくらいの達成感で一杯になっていた。








 もう日本に帰っても良いかもしれない、この後の人生をゆっくり考え直したいと思った。ここまでの旅でいろいろな奇跡や偶然を感じた事により、失敗もあるが何事も為せば成ると思うように感じた。まずは行動しかない。どんなに他人に後ろ指を刺されようとも。







人生が何章かに分かれているならば、確実に今夜はひとつの章のエンディングだと思った。




















2012/11/22

ベルリン:壁、アート、カツ丼


ベルリンに着いて街の奇麗さに感動した。ゴミはほとんど落ちていないし、空気もきれいだ、ヨーロッパにしては珍しいと思った。



お腹がすいてきたので、ご飯を食べることにした。ミッテ地区に泊まったのだが、街並みはとても奇麗であちこちにギャラリーがあり、アートにあふれていた。そんな中、日本食レストランが目に着き入店した。




カツ丼があった。カツ丼は僕の大好物で、日本にいるときは毎月食べていたかもしれない。

待つこと数分、カツ丼が姿を現した。




うまい。やはり日本人が作る日本食はおいしい。だが、ごはんが固かったのがやや気になった。






そしてブランデンブルグ門




洒落たギャラリーやカフェがたくさんあった。




DDR(東ドイツ)博物館に入った。

東ドイツ時代の生活スタイルや車などが展示されており、どんな社会だったかを詳細に知ることができた。人が多かったが、かわいらしい東ドイツデザインに感動した。













ベルリンではこの後Animal Collectiveのライブを見た。ギタリストのシンセなのかシーケンサーなのか機材が途中で壊れてスカスカになった。人気の曲"My Girl"でも途中で音が泊まる始末に。

その後ミュンヘンに移動することになっていた。同時に僕の好きなバンドBat For Lashesのライブのチケットもスイスのローザンヌまで足を伸ばせば見にゆける。悩んだ結果、鉄道では高いのでレンタカーを借りてミュンヘンで返すことにした。値段を調べると鉄道の一般価格より安く、さらにオートマ車の一番安い車がベンツだった。さすがドイツだ。



そんなわけで、翌日ベルリン中央駅から車に乗り市街地をしばらく走った後アウトバーンで550km離れたミュンヘンに向かった。



ベンツCクラスはとてつもなく高速での安定性が良かった。日本では昔から高くて金持ちの代名詞みたいな車だがそれは日本だけで、ここドイツではどのモデルのものも聞くところによると日本の3分の2程度で買えるそうだ。
日本ではブランドイメージから価格を高く設定しているらしい。このCクラスも日本だと新車で400万円くらいだそうなのだがドイツでは2万8000ユーロで大体280万円くらいか。同じ車なのに国が違うだけでこんなに値段が違うのは驚きだ。

アウトバーンを走って思うことは、日本の高速道路に比べたらはるかに走りやすいということだ。車の性能も良いこともあるが、直線が多くカーブもほとんど緩やかだった。都市部に近いところや、カーブが急になったり工事中だったりするところは130km/hや100km/h制限が設けられていたが、それ以外は速度制限が無い。3車線ある中で、一番右はトラックなどが走り100km/hくらいで走り、左の追い越し車線では160~180km/hくらいか。

中にはこちらがかなりのスピードで走っているのにものすごい速度で追い越してくる車もちらほらいた。200kmは確実に超えていたと思う。




車はミュンヘンへと向かった。

2012/11/20

ポーランド漫遊記

ワルシャワからチケット売り場のおばちゃんの英語が通じなさに驚きつつ電車で3時間ほどでクラクフに着いた。






クラクフは濃い霧に覆われていてすぐ先が見えないほどだった。旧市街の近くに泊まっていたので街並みはどことなくバルト三国のそれと似ていたように見えた。古いトラムが走り、石畳を縫うように車がひしめき合いながら走っていた。歩道は広く、歩くたびに昔の映像で見た悲惨な時代のポーランドを思い出す。






絢子さんの友人の夫であるピアトル君(Pちゃん)と、日本人でこちらで絵を描きに来ているちかちゃんと合流した。

ポーランド料理はおいしい、チキンカツレツに水餃子のようなもの、パンに付けるラード。何でもおいしい。





そして翌日はPちゃんの運転でアウシュビッツと岩塩湖に行った。





いくつものバラックにそれぞれ展示物があり、それを全部見ると丸一日掛かりそうだった。





有刺鉄線は今もなお、人々をはねのける役目をになっているようだ。





写真はたくさん撮ったが、やはり実際のものをこの目で見たときの方が衝撃的だった。後に残った写真はどれも過去の記憶でしかなかった。






人々はここでおろされ、選別されていった。






気持ちを切り替え、岩塩坑へと向かった。


ポーランドは結局クラクフからベルリンへ移動する形で去ることになった。ここまで充実したのはPちゃんとちかちゃんのおかげだ。



翌朝、早朝に空港に移動したものの霧が濃いため続々と飛行機のキャンセルがアナウンスされる。僕らはエアベルリンという割と安めの航空会社だった。



結局出発ロビーで3時間も待ち、バウチャーでコーヒーを飲み、やっと出発してくれた。




いざベルリンへ。

2012/11/18

バルト3国バス紀行


バルト3国をバスで3日間走り抜けた。各国の首都であるタリン、リガ、ヴィリュヌスに1泊づつし、最後はヴィリュヌスからバスで8時間かけ、ポーランドのワルシャワまで行った。


まずは、エストニアのタリン。


船から降りて、ホテルに着いてメールで案内された通り番号を押し、キーを開けてもらう。建物は古く玄関の中は異様に暗く、嗅いだことのない異様な匂いが漂っていた。ホテルは一人約1500円くらいだがダブルでシャワーもついており、割と広めな部屋だった。オーナーも気さくなおじさんで、英語もまあまあ通じる。




一息ついて、街へ出た。





我々のいる場所は、旧市街にあたる場所なので、そこまで寂しい町並みではない。おなかが減っていたので昼ご飯を食べようと、レストランを探した。レストランの前に貼られたメニューを見て驚いた。ここはユーロが使えるのだが、間違っているのではないかと思うほど安い。割と感じの良いイタリアンレストランに入り、サーモンのカルパッチョとパスタにワインをデキャンタで頼んだのに一人1000円くらいだった、それだけではなく味がとても良かったのも感動した。









 翌日はラトビアの首都リガへバスで4時間半かけて移動した。

バスは非常に快適だった、トイレはあるし車内はとても奇麗で、さらにWi-Fiもあってコーヒーも飲み放題らしい。だが一番の驚きなのは価格の方で、ひとり1700円くらいなのだ。距離からすれば、大体東京-京都間くらいか。至れり尽くせりで、快適に移動することができた。
 バスからの景色はなかなかおもしろいものだった。首都以外はほとんどなにもなく、ただ森や田園風景が延々と続いた。道もしっかりとしたものではないが、独特な雰囲気があった。





リガに着き、ホテルにチェックインした。ホテルは旧市街に位置し、これまた奇麗で大きな部屋だった。これでひとり2000円くらい。物価はとてつもなく安い。

旧市街をうろつき、看板のメニューを見ながらあるレストランに入った。店内の佇まいや雰囲気からして、東京だったらコースで一人1万円はくだらないと思えるレストランであった。どきどきしながらメニューを見ると値段が異様に安い。
ビール、ワインに、アボカドとスモークサーモンとキュウリが細かく刻まれて奇麗に象られたサラダ、メインには鴨肉のスモーク、これで一人1500円くらいだった。

部屋に戻り、長風呂をしたらのぼせて気持ちが悪くなりぶっ倒れてしまった。体調管理は苦手である。




翌日は早めにバスステーションへ向かい、またしても快適なバスに乗り、バルト三国最後のリトアニアの首都ヴィリュヌスへ向かった。

バスの快適さと値段の安さにまたしても驚いた、なんと今度は3人がけのシートだった!まるでグリーン車のようだった。

バルト三国はすべてLux Expressという会社のバスに乗ったのだが、値段は信じられないくらい安いしバスはすべてトイレ付きでシートはとても快適でWi-Fiもついていた。バルト三国へ行くなら鉄道よりぜひLux Expressのバスをお勧めしたい、値段も同じくらいのモロッコのバスとは比べものにならない。何時間でも苦痛を感じずに移動できるだろう。





そしてヴィリュヌス。

ホテルからの眺望。


残念ながら体調が思わしくなく、翌日は8時間バスに揺られなくてはならないので、ほとんど観光のようなものはできなかったが、ロシアにはない古い町並みが心を落ち着かせた。

2012/11/15

Stockholm:

朝9時前、僕ら以外はほとんどビジネス客の乗ったオスロからの飛行機はたった1時間でストックホルム・アーランダ空港に着いた。それほど寒くはない。


朝食がてらにcrayfish(ザリガニ)のサンドウィッチを食べた。



北欧の空港は本当に奇麗でデザインも良い、早速市内へ向かうためアーランダエクスプレスに乗った。スピードメーターもついてて、静かで清潔感のある電車だった。




ストックホルム市内に着いたものの、朝早起きだった為に睡魔が襲う。だが、市内を観光したかったので街に出た。

もう街中H&Mだらけ、こんなに間隔狭くて大丈夫なの?と思うほどH&Mが多かった。さすが本拠地だけはある。ストックホルムフィルムフェスティバルというのがやっていたみたいだったが、スウェーデン語だったらどうしようと思い断念した。我々は近代美術館に行く事にした。


かの有名なマルセル・デュシャンの"泉"

















そう、そして僕らは現在日本でも大ブームのスウェーデン発祥の本場のIKEAに足を運んだ。大してかわらないだろうと思いきや、日本とは大分違う構造になっており、さらに家電もありで、家のことなら何でも屋さんと化していた。








やはりIKEAといえばレストランだろう。スウェーデン語のメニューに戸惑ったが、難なく注文することができた。残念なのは日本のIKEAではワインもあり、ちょっとした飲み会ができるのだがビールしかなく、仕方なくビールを2杯飲んだ。




ストックホルムは1日の滞在であったが、非常に楽しめた。アイスランドは大都市がないため、このような都市が久々だったからだ。我々は港へ移動し大型船でフィンランドを経由しエストニアのタリンへ行く船に乗り込んだ。

こんな大きな船は初めてかも知れないと思う、レストランがいくつもあり、バーもあり、ディスコなんてのもある。デッキの外に出れば潮風にあたることもできたが夜の暗闇の海はただただ恐怖を抱くのみだった。









船上のレストランでやや高かったが食事をし、部屋に戻った。我々の部屋は安い部屋なので窓がない、激しい揺れがたまにくるときは景色も見れないので、船酔いしそうになった。

朝目が覚めると、もうタリンに着いていた。エストニア。
旧ソ連のバルト三国に初めて上陸した。

暗い町並み、ほこりっぽい灰色の道路、無機質な建物。




ああ、ここは共産主義だったんだな。

2012/11/13

See You Again アイスランド


アイスランドは本当に良い国だ、最後に来るべきだったかもしれない。そんな事を思ってしまう。

最後の3日間はレイキャビクをのんびり過ごした。Reykjavik Residence Apartmentsという普段なら値段の高い宿に泊まったが、セールで半額以下になっていた。奇麗な部屋には簡単なキッチンもある。アイスランドはレストランも充実しているが日本食は寿司しかない。どうしても他の日本食が食べたくなったので、トンカツを揚げてみる事にした。

パン粉と豚肉を買ってきてなんとかできないかやってみた。豚肉はロースよりバラのような場所の方が色が良いので買った。どうやら無菌豚らしい。この豚は初めてで、半生でも大丈夫だと言うがどうだろう。塩こしょうをしたあと溶き卵につけ、揚げ物用の鍋が無いのでフライパンで揚げた。

うーんなんともなつかしい匂いだ、トンカツの揚がる匂いだけで感動した。ご飯はタイ米風の細めのもを炊き、キャベツの千切りとみそ汁を用意して準備完了。とんかつソースを持ってきてくれたマミちゃんも誘って3人でトンカツをほおばった。

我ながら信じられないくらいおいしかった。久々のトンカツと言う事もあるのか、豚が良いものなのかソースがうまいのかわからないが、とにかくうまかった。。。




シバノさんがその後きてくれて今度は丼にしてみた。





喜んでもらえて嬉しかった。調子に乗った僕はアイスランドで日本人による日本食料理店が無いので、いつか定食屋をレイキャビクで出店するという野望を抱いたのだった。






翌日はトマトケチャップを買い、ナポリタンと昨日余ったカツでカツサンドを作った。うまくて泣きそうだった。やっぱりこの日本の味は体が忘れられないんだな。









そしてレイキャビク最後の夜がやってきてしまった。マミちゃんのお家でラムパーティをすることになった、シバノさんとマイさんも来て最後のアイスランドの夜を過ごした。










大きいラム肉のオーブン焼き。とてつもないおいしさでした。本当にありがとう。





やっぱり赤ワインがいい。



マイさんの差し入れの切り干し大根とサーモンの刺身と日本米。これもまた感動しました。切り干し大根だけでご飯が2〜3杯いけるんじゃないかと思ったほどおいしかった。









記念撮影、また再会したい。






アイスランドがここまで良いと、他の国に行くのが嫌になってしまう。実際、今アイスランドホームシックになっている。本当にここに来てよかったと、そしてこの国を知ってよかったと心底思う。他の国をぐるっと回ったが、ここまで感動の多い国は絶対ないと思う。この旅始まって以来、達成感を感じてしまった。


折り返し地点は過ぎ、ここから南へさらに東へ移動し日本に戻る。アイスランドのショックは僕にとってよほど大きいものだったようだ。もう4回も来ているのにまた感動してしまうアイスランドは一体何なんだろう。






翌朝9時にバスでレイキャビクを発ち、ケフラヴィーク空港からスカンジナビア航空のオスロ行きが滑走路から飛び立った瞬間。悲しくなった。





アイスランドの今回の思い出は一生に残る事が多すぎた。誕生日をアイスランドで迎えた事、日本人の友人たちとの出会い、赤いジープでアイスランドを一周、さまざまな景色に感動さまざまな危険に恐怖、身に浸みるような寒さと風、ゆらゆらとゆらめくオーロラ、ヨンシーとのトイレでの出会い、そして彼らの圧巻のステージ。


だが、しばらくは戻れない。次にくる時はもっと他の目的で来たいと思う。もう一生ここにいられるような。そんな夢を想像しながら、アイスランドを去りたくないが去った。








オスロは真っ暗だった。



辺り一面雪景色で、空港の周りに泊まるも、周辺には何も無かった。ただ、飛行機の轟音が聞こえ、雪が積もっていた。アイスランドの事を思うと懐かしく感じた。

まずい冷凍のピザをくわえながら。。。

2012/11/09

Iceland Airwaves (後半:Sigur Rósとか)



Iceland Airwavesも土曜日となり後半に差し掛かってきた。レイキャビークの街は相変わらず突風が吹き荒れ、寒さは乾燥しているせいで凍えるほどではないものの寒いものは寒い。








この日の昼間は写真家のシバノさんと絢子さんと3人でハルパのオフべニューに行った。
オフベニューでは若手バンドなどが出演していた。ハルパの建築デザインは素晴らしいと思う、菱形や平行四辺形のガラスがいくつも折り重なって構成されている。内側からも外側からも楽しめるデザインだ。

オフベニュー会場はハルパの4階の踊り場のバーで行われていた。お客さんの数は多くても100人くらいが限界のキャパか。ちょうどアメリカの"Ghost Town Jenny"がやっていた。2組目の''Úlfur ''はシーケンサーをたくさん使っていて面白かった。お客さんのなかにはSigur Rós(シガーロス)のJónsi(ヨンシー)の姿も。










ライブが終わり次のバンドまで待っている間、僕はトイレに行きたくなった。この尿意には我ながら感謝したい。なぜなら、、、

トイレに行き当然のように小便器前に立つ。用を足す。
そして、故障した便器を挟み男性が隣に立つ。ふと隣をみると、その男性はヨンシーだった。隣同士という偶然に驚きを隠せない僕。

軽く挨拶すると、やさしく返事をしてくれた。


洗面台にはヨンシーの彼氏の姿もあった。
こちらにも僕と彼らには全く接点がない赤の他人だが軽く会釈をすると、にこやかに笑ってくれた。

ヨンシーが用を足した後、トイレ内で彼らと固く握手をしてくれた。
「明日見に行き来ます」と言うと。
「ありがとう、日本から?」と訊かれた。


会話はそれだけだったがとても嬉しい、これだけでもここに来たかいがあったと思った。

トイレなんかで声をかけた事をここで謝りたいと思う。




Jonsi&Alexに別れを告げ、握手の余韻に浸りながらその夜はメインであるDirty Projectorsを見に行った。







翌日は最終日だが、オフベニューや公式ライブもSigur Rós以外は特に見たいものもなかったので、マイさんとしゃれたカフェも併設しているホステルのKEXにアウスゲイルのライブを見に行った。
信じられないほど人口密度が高く、アイスランドの若者が凝縮されたような空間だった。


後ろの方のステージが見えない人たちは椅子に立ってライブを見ていた。





夜になり、Sigur Rósの会場の体育館へと向かう。体育館といっても中は非常に奇麗で、僕の好きな幕張メッセがこんじまりしたような空間であり快適だった。

すでに多くの人がライブを待っていた。
床は絨毯のようなものが敷かれていたので端のほうではみんな寝っ転びながら待っている、僕はなぜか疲れていたのでそこでいびきをかきながら寝入ってしまった。


Sigur Rósのライブは20時からの予定だったが、遅れてスタートしたようだった。

会場が真っ暗になる。
ステージ3方向に布が掛かっており、そこに映像が投射されていた。檻のようなこのステージは3曲目が終わると布が落ち、Sigur Rósのメンバーやサポートメンバーたちがはっきり見えるようになった。''Svefn-g-englar''は感動のあまり涙が出た。

ステージ上のヨンシーは昨日トイレで僕と握手したヨンシーとは全く違う人物のように見えた。





僕らのいる方は人があまりいなかったのでステージ向かって左側の前の方まで行ってみると、なんとステージは真横からでも見れるようになっていた。そこから写真を撮る。

Sigur Rósとの出会いは2005年のフジロックに遡るが僕はまだその頃はアイスランドといえばBjórkくらいだった。あの時はアイスランドに初めて来た後で、心底感動したのが懐かしい。

2005年に初めての海外旅行でアイスランドに来た時はほとんど何もできなかったし、まだレイキャビークも今のようなアートな文化は小さかったし今より随分と寂しかった気がする。
だが、確かに他には無い何かはあった。その経験があるから今ここにいるいるんだなあと、彼らの演奏を聴きながら思った。





"Í Gær""Viðrar Vel Til Loftárása""Vaka""Glósóli"名曲のオンパレードに新曲もやった。


Sigur Rós @Laigardalshöllin,Reykjavik
1.Í Gær
2.Vaka
3.Ný Batterí
4.Svefn-g-englar
5.Sæglópur
6.Viðrar Vel Til Loftárása
7.Hoppípolla
8.Með Blóðnasir
9.Olsen Olsen
10.Glósóli
11.Festival
12.Varúð
13.Hafsól
encore
14.Ekki Múkk
15.Brennisteinn(new song first play)
16.Popplagið


9月にイギリスのBestivalで見た時より、比べ物にならないくらい良かった。やはり野外フェスティバルというのはたくさんのミュージシャンが見れる事が利点だが、良いパフォーマンスが見れるかといとメインアクト以外はそうではないと思う。細かい事を言うと天候、音響、準備不足などが挙げられる。

Bestivalのことは置いといてIceland Airwavesを通して参加して思った事は、ステージがオフベニュー含め街中にいくつもあり、カフェやバーなどでライブが楽しめるという点は面白いと思うし斬新だと思う。アーティストも偏りが無くアイスランドの様々なミュージシャンが見れるのもよい。外国のミュージシャンはまだ数が多くなく割と名前の知られていないバンドが目に付くがそこは仕方が無いだろうし、これからもビッグネームを呼ぶような大型フェスティバルでなくても良いと思う。
だが天候の安定しないアイスランドで外で待つ事になったりした時はつらい思いをするだろうし、アクセスも大抵のフェスティバルとは違うのでかなり歩く事もある。会場もまだまだ発展途上なフェスティバルということもあり、キャパシティにやや問題がある気がする。

だが、遠いアイスランドのフェスに来るというのは大変な事だが、(着いてからも大変だが)来たかいはきっとあると思う。運が良ければ街からオーロラも見えるしトイレでヨンシーに会えるかもしれない。








エアウェイブスで完全燃焼できた僕らは、アイスランド滞在も残す所3日のみとなっていた。