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2012/10/09

さよならパリ〜SNCFのジングルにのせて

10月8日



凱旋門賞も終わり、翌日は18時にパリ・リヨン駅からTGVに乗りスイスのジュネーヴへ向かう。チケットは日本にいるときに買っておいたので価格は€25(2500円)3時間走りっぱなしでこの価格は安い。だが18時まで結構ある。

出発のときは考えもしなかったが、街を移動する日はできるだけ出発を早めた方が良いと思った、荷物をどこかへ預けなくちゃならない。ホテルに預けるのも吉だが、駅や空港から遠いのがほとんどだ。
早すぎてもダメだ。次の街の到着が早すぎると、ホテルやホステルにチェックインできず、結局荷物を預けなければならない。まあドミトリーなら個室じゃないから関係ないが。

そんなこんなで、今日はパレ・ド・トーキョー(Palais de Tokyo)に行く事にした。エッフェル塔からみてセーヌ川を挟んだ反対にある近代的美術館である。
トーキョーという名前はかつてニューヨーク大通りがトーキョー大通りと言われていたためこの名前になったそうだ。だから展示物と東京はあまり関係がない。







こちらはすべて生の食べ物でできたアート。だんだん腐っていく過程が垣間みれるのか。




展示物は難解レベルの高い作品が多く独創的であった。








美術館を後にするともう夕方になっていたので、リヨン駅にRERで向かった。






リヨン駅に着いた。ほとんどがTGVの発着なので、大きな荷物を持った人々が多い。
SNCF(フランス国鉄)のアナウンスのメロディが旅立ちの緊張をほぐす。このメロディはフランス国内の鉄道駅でどこでも聞けるのだが、メロディがどことなく不安定な音階で初めて聞いた瞬間から気になっていた。YouTubeで調べたら、このメロディのファンは多いようだ。このジングルのあとの女性のフランス語のアナウンスも機械的でなんとも魅力溢れるものとなっている。フランスに来たら、ぜひ耳を澄ませて聞いてほしい、フランスに行く予定が無い人はこれをお見せします。













車内は意外にも空いており、快適にジュネーヴまで移動する事ができた。





ジュネーヴに夜21時30分頃到着した。まだ、フランス語の表記が多いものの、わずかに英語が増えてきた感じがする。そういえば、スイスフランを持ち合わせていなかった事に気がつくも、両替所は残念ながら閉まっていた。まあ大丈夫だろうと思い、そのままユースホステルに向かった。雨が多少降っていたが気ならなかった。ホステルは駅から徒歩10分程度の閑静な住宅街にあり、公園が隣にあった。付近の建物はこれまたデザインがかわいい。

ホステルに入りチェックインを済ませた。価格は34フラン(約2600円)とユースホステルにしてはかなり高い価格設定だ。さすがはスイスと思いコーラの値段を見ると2.5フラン(200円強)。。。。


ついにコーラ禁止令発令か。。。






2012/10/08

カタール凱旋門賞2012

今日カタール凱旋門賞に行ってきた。


なんて言うと、カタールの偽物の凱旋門賞?と思われるかもしれないが、まさしくフランス、パリのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞の事だ。なぜカタールかというと、数年前にカタールの競馬クラブがスポンサーとなった為にこんな冠名が付いているのだ。カタール航空も関係しているのかな?
凱旋門賞というと、ダビスタをやっていた世代から言わせてもらうと非常に高貴なレースで出場するのにも難しく、ヨーロッパというか世界で最大級のレースと言われる。日本の馬は以前にも数回挑戦しているが惜しくも2着が最高で、優勝した事は無い。
この凱旋門賞、日本とは感覚が違う所がいくつかあったようだ。

まあそれは追々説明するとして。












昨日、カンヌを20時に出発した。
車両はなんと27両もあり、そのすべてが寝台だ。例のタリバンジュニアもそのどこかで自分の父親がタリバンだと 誰かに説明して寝たのだろう。
部屋の扉を開けると、3段ベッドが向かい合い6人が寝れるようになっている。下の2つには東洋系の女性が2人、上の段にはフランス人の女性が2人。中段は僕のみのようだ、一瞬、女性専用車両かと勘ぐったが、どうやら違うようだ。

狭いベッドだったがなんとか寝付き、起きたらもう7時前になっていた。まだ空は暗いようだが、まもなくパリに着くとのアナウンスが流れる。

荷物をまとめパリ・オーステルリッツ駅に降り立った。


なんとも旅情を感じさせる古い駅だ。リヨンやノードよりこちらの方が好きかもしれない。暗闇を歩き、メトロに乗り替え11区のVoltaire駅で降りホテルに着くと、感じのいいおやじが現れる。
「荷物を置いていく」というと満面の笑みで了解してくれた。
ネットをちょろっとやっていたらやがて9時になる。そろそろ出発しなくては。



メトロに乗り1回乗り換え、ブルージュの森の近くのPort Maillot(ポートマイヨ)駅に着いた。さすがに先月パリに3日いただけに安心して乗れるし、全く恐怖を感じない。辛い時はモロッコのメディナを思い出せばいい。

バスが停まっていたので、ロンシャンまでかと訊くとなんと無料だった。





チケットは€8。今日は8ユーロがノルマか。






やはり日本人が多い、オルフェーブルの勝負服を着ている人や袴や日の丸の旗を持った人まで、逆にジャパンカップでそんな外国人がいたら僕は笑うに違いない。
日本人のそういう所が好きだ。

だが、伝統的なレースといって身なりを良くしようとスーツで着ている人も結構いたが、結婚式的な意味合いでおしゃれしているのなら良いけど、リクルートスーツって。。
彼らはフランスギャロに面接にでも来たのかな?
そこは自分の好きな私服で良いと思う。


まあ苦言はいいとして、もうひとつ面白かったのがプログラムの争奪戦。日本人だけじゃなくフランス人も我先にとバーゲンセールのように奪い合っていた。



フランス人と見分けは付きにくいがイギリス人もかなり大勢いた。ビールを飲み、独特の英語で口頭窓口で大声を上げているイギリス人もしくはアイルランド人が多かった。

口頭窓口といえば、僕は利用しなかったが日本人専用窓口なるものまで存在した。日本語が話せる者がいるのか、日本人が大量に並んでいた。
確かに英語だけだと年寄りのおじさんおばさんの窓口もあるので伝わりにくい事もあった。だが、僕はもともと馬がわからないし予想するのが面倒なので単勝だけで勝負しようと決めていたので簡単に購入できた。

一口は€2からで、その先はおそらく1ユーロ単価と思われる。窓口によっては€10以上、€20以上専用の窓口もあった。





馬券、レシートのようだ。




ワイン片手にサンドイッチを食べていたら、なんだか酔ってしまった。
だんだん気分が良くなってきたところで1レースが始まった。

外れた。

2レース、さらに3、4、5、

外れた。



ふう、今日は運が悪いのかな。
お金もあんまりないし、オルフェーブルの単勝を買ってのんびりすることにした。



突然見た事のある日本人が視界に入ってきた。

おぎやはぎの小木だ。

そうか、フジテレビの番組がロンシャンまで来てるのか、近くに有名そうな女の子(AKBっぽい)がいたがどうも名前がわからなかったので、小木に声をかけてみた。

「小木さんいつもJANK(ラジオ)聞いてるんですよ、握手してください」

ラジオ聞いてると言ったら喜ぶと思って言ってみたら

「えっ!本当に!?JANK聞いてんの!?うれしいなあ」

まさかのロンシャンで小木と話ができたのはうれしかった。となりの女の子には悪かったが。




小木と話して、なんだか赤面していた。



競馬場のお菓子屋さん



次のレースが凱旋門賞だというのにこのまばらっぷり



結果は今日一度も当たらなかった。なんと恥ずかしい結果だろう。ロンシャンに来て世界の壁を感じたようだ。
オッズもどっちを見ていいのかわからない。 ちなみに6番がオルフェーブル、勝った8番は約11倍




頑張れ!オルフェ!

ってもう遅いか





一度は誰もがオルフェーブルの勝利を確信したに違いないと思う。僕も大声で勝ったと思い
オルフェー!オルフェー!
と叫んでいた。



しかし、競馬はレースだ。
非情にもゴール直前で日本に良く来るペリエの乗る馬に差され、彼は敗北を喫してしまった。
日本馬はこれで凱旋門賞2着が3回目。今日こそと信じていた。





僕の目の前で日本馬の凱旋門賞制覇という夢は果無くも散った。


凱旋門賞が終わると残りのレースは3つあったのだが、全く興味が無いし早く帰って熱いシャワーを浴びおいしいハンバーガーでも食べたかった。

帰りのバスの中で、悔しがっている日本人が
「なんのためにパリにまで来たんだよ」
と言っていた、

気持ちはわかるが、どこまで勝利を信じていたんだこの人は。
パリまで来てそんな事言ってしまうとは、心底かわいそうだ。



Voltaire駅前のマクドナルドでビッグマックセットを頼んだ。なんだか競馬の負けのときに食べる食事というのは意外とおいしく感じたりするもんなんだ。と思ってみたり。
とにかく久しぶりに大勢の日本人を見たし、フランスでは競馬は日本よりずっとのんびりした娯楽なんだなと感じた。


ホテルに戻りRadioheadのTVショウの動画を見て興奮する。
明日はいよいよTGVでスイスに。






スイス。

そうだ、全てはもうすぐだ。

2012/10/07

カンヌ〜モナコ:そこまで場違いではなかった


カルカソンヌから鉄道で5時間かけカンヌ(Cannes)についた。



カンヌ。。。



カンヌ映画祭のことしか頭に無い人はあまり行かない方が良いのかもしれないと思ってしまった。



映画祭の博物館などがあり、そこではカンヌ映画祭の受賞作品たちが一堂に会しアーカイブされたブースから好きな作品が永遠に見放題で。。。。。

そんなのは夢だ。


映画を除けば、旧市街は非常に奇麗で海岸は何時間いても飽きないし、山あいはのんびりとしているし田舎独特の雰囲気があって居心地は最高だった。
だが、ブランドショップが延々と続き高級ホテルが続く海岸通りにはさすがに場違いかとも思った。







南フランスの景色はどこからどう見ても飽きない。町もぶどう畑も海も山もだ。そしてオリーブがすこぶるうまい。



翌日はモナコへ行ってみる事にした。
さすがに泊まりはしなかったが、一度でもいいから行ってみたい場所の一つでもあった。






駅からもうお金の匂いがプンプンしてきた。



おっとこれはかわいい鳥ちゃん



観光案内所のおばさんと話していると、パスポートにスタンプ押してあげようか?
と訊いてきた。



これはうれしい、どうやら国境というものがこの国には無いので、スタンプだけは観光客向けに持っているそうだ。話をしていなかったら気付かなかった。
スタンラリーをしに旅行してるわけじゃないが、こういうのも楽しみの一つだ。














丁寧に日付まで書いてくれた。




歩いていると、かの有名なカジノが現れた。うろうろしていると中国人の団体がいた。
10ユーロが入場料みたいだが、中国人の団体に混じって入ってみたら入場料を払えとは言われなかった。

目の前に広がるゲームの数々やルーレットやポーカー、バーもとなりにある。ここで一発大勝負に出たいところだったが冷静になりやめた。




外に出て、地図を広げてどこに行くかを考えた。マクドナルドの文字がある!
モナコにマックがあるのかと驚愕して早速行ってみた。若干高いが、割安で昼食をとる事に成功したのだった。日本にいるときに比べてマクドナルドさんに大変お世話になっている反面、その土地の美味しいレストランなどにあまり行けていない。世界版食べログがあったらどんなに便利かとも思うが、所詮そこは貧乏旅行者 。値段とふところのバトルに勝たないとそういった所には行けない。




こんな船に乗って優雅に地中海を漂いたい。。。無理だろう。









カンヌに戻り、翌朝チェックアウトし夜まであちこち歩いて時間をつぶした。一人になるのが久しぶりで自由だと感じた。

夜になり、カンヌ駅から夜行でパリに向かう予定である。
ホームに座っていると、隣のアジア系の青年が片言の英語で話しかけてきた。

最初は「たばこいる?」など、たわいもない会話をしていた。
「どこから来たの?」と訊かれたので、僕も「君はフランス人?」と聞いた。


が、彼の口から衝撃的な一言が発せられた




「僕アフガニスタン人」

「えっ、え、あのアフガニスタン??」
「そう」

パスポートを見せてきてので彼の言う事は偽りではないと確信した。

旅行なんかできるのか?国は大丈夫なのか?
いろんな質問をしたかったが、彼はあまり英語が喋れないしいきなりそんな事は訊けない。

家族の情報を話していると、さらに衝撃的一言が
「マイ、ファザー、イズ、タリバン」



足早にここを去りたくなったのは言うまでもない。
だが、彼の笑顔や会話をみていると旅行客らしい雰囲気が僅かにする。しばらくすると列車が来たのでやや安心した。さらに車両も違うようだ。





タリバンの息子と一夜を共にするところであった。

カルカソンヌ(3):最後の夜編

カルカソンヌに着いて3日が過ぎた。

もう随分心も体も長旅のリフレッシュができたように感じる。
喉の調子も口の中が麻痺する飴で治ったし、精神的にもこの場所は心底リラックスできる場所だ。そんなカルカソンヌも今日が最後の観光、明日の朝鉄道に乗りこの街を去る。














今日はトゥールーズに行き、友人のファブリスと共に皆でDionysosというフランスのバンドのライブを見に行く事になった。子供たちとはもう会えないかもしれないので記念写真を撮った。














子供たちを友人に預け、我々はお古のルノーでトゥールーズに向かった。
相変わらず高速道路は楽しい、やはりドイツ車が多いみたいだ。
1時間ほどでトゥールーズの近くに着いてそこから地下鉄で中心部まで向かい、レストランに入った。このところ毎日ワインを飲んでいるのでビールにしたが、残念ながら僕の口に合うものではなかった。








ライブ会場に着く。










会場は非常にきれいで、待合所兼喫煙所にプールがあったりとセンスのよい場所だった。
ライブの内容はともかくとして、なかなか楽しい最後の日を送れたと思う。ファブリスと別れ、ピーターは明日イギリスへ帰るとの事でホテルへ、僕とフローレンスでカルカソンヌへ帰る事になった。








道中、0時も過ぎていたし疲れていたので寝そうになっていた。


次の瞬間


車のスピードがゆっりと緩まる。
フローレンス驚く。

車を路肩に移動させた後、完全に車が止まってしまった。


やはり。あの、気になっていたバッテリーランプが原因だ。
しかも、ここは田舎の高速道路のど真ん中。あたりは真っ暗。
真冬のロシアじゃなくてよかったと思い安心するも、レスキューを呼んで1時間ぐらいで助けが来た。とんだハプニングだった。。

トラックでルノー共々近くのインターの車庫まで移動させられ、さらにそこからタクシーで家まで戻る事になった。時間は3時を過ぎていた。
問題は車が無いので明日子供や僕を駅まで送りにゆけない。(駅まで10キロくらい)
苦渋の決断で、ベビーシッター役として家にいたマリィさんがうちなら駅から近いから泊めてあげても良いわよと言う。なんといい人だ、深夜にも関わらず車で家に招いてくれた。



なんとか今夜は寝られそうだ。







マリィさんの家に着くと。



犬がかわいかった



家の中は隅々までインテリアに凝っておられ、部屋は大きくないが犬も猫も快適に暮らしているようだった。マリィさんは旦那さんと二人暮らしで、子供たちの話は出てこなかったが、おそらく巣立っていったのであろう。
話を聞くと、旦那が芸術活動をしているという。それでこんなアトリエと画廊が合体したような家なんだなと思った。朝食は僕の低血圧のせいであまり取れなかったが、体調は悪くない。





カルカソンヌはそんな旅だった。


2012/10/05

カルカソンヌ(2):城壁都市編

その日は、カルカソンヌの街を一日散策する事にした。


フローレンスは子供たちの送り迎え、片付け共に忙しくこなす。見ていておもしろい、手際よく仕事をこなすがたまに忘れ物をしたりと、とちる事もある。

だが、何もかも判断が素早くてきぱきと行動するタイプだ。愛車はルノーのお古で常にバッテリーランプが灯っていた。運転は結構飛ばす方で一般道の田舎道で平気で90km/hを出す事もしばしば。

エリーゼやシモンは相変わらずフランス語で喋ってくる。なんとなく何を言っているのかわかるが、こちらが話せないのが悔しい。


のどかな道をひた走り、街の中心にドンと構える城がある。その中には街があり、現在はレストランや観光客向けの商店が並ぶ。







ぶどうだけではなく、リンゴ、あんずといった様々なカルカソンヌのワイン。



フランスのサラミっぽいソーセージ「ソーシソン」




お腹が減ってきたので、家から持ってきたパンなどでピクニックをする事になった。

いままでピクニックなんて金持ちで平和な家族がするものだと思っていたが、それは大間違いで非常にリーズナブルで手作り感があるので味も格別でカフェやレストランでランチなんかするより断然格安で楽しい。手作りと言っても、料理を持ち込んできた訳ではなく、フランスパンにトマト、きゅうり、チーズ、生ハム、カニのパテやたらこ風のパテ。先ほど買ったソーシソンなどを挟んで食べるだけだ。そこに、赤ワインとさっき近くで買ったアプリコットのワインが加わる。






















ピクニックをした後、新市街を散策しているとすぐに夕方になっていた。



カルカソンヌは今まで来た街の中でも一番と言っても過言ではないくらい平和で安全な街だ、理由は簡単で若者が少ない。若者はこの街から巣立って大きなトゥールーズやパリなどに移動してしまうらしい。だから騒ぐような人もあまりいない、かといってこの街が暗いわけでもない。



近くのカフェに入った。オリーブが新鮮でおいしかった。





そして夜の城壁





夕飯は城壁内のレストランで食事をした。

そこまで格好を気にしなくてよい雰囲気のところで、サラダ、メイン、デザートとワインでだいたい€20だった。味にも見た目にも満足して20ユーロは安いと感じた。
なぜか会話は終止Bat For Lashesや音楽の話題で持ち切りだった。そんななかBeirutの''A Call To Arm''の船の出発を告げるような合図と共に''Nantes''がムーディーにレストランを包み込んだ。来る''Sunday Smile''ではそこにいるほとんどの客が曲にリズムを取っているような気がした。




やがてメインが来る。




デザートは何が良いかと言われるも、フランス語に苦戦し悩む。マカロン、アイスクリーム、ミルフィーユ。。。こうなったら逆に全くわからないものを頼もうと思った。スイーツやデザートにはもともと疎いし、キウイや洋梨が出てきたらアレルギーで食べられない。うーむ。

''Paris Brest'?これは食べた事が無かった。聞いてみると「とても有名だわよ」と言われた。



そしてパリブレストが現れた。


これはこれは。芸術品のようなパリブレストちゃん。
(だけど、こんなもんばっか食ってるからどんどん太っちゃうんだろうな。)



お腹いっぱいになって家路に着いた。
充実した生活も明日が最後。

またつづく

カサブランカ〜カルカソンヌ

9月30日

電車で4時間かけてカサブランカに着いた。
あとここで1泊して、いよいよアフリカを去る。最後の1泊はユースホステルに決めた。
1泊700円なので昨日のクオリティはさすがに無いと思っていたが、凄まじいホステルだった。










ここは牢屋なのだろうか。

天窓以外に窓は無く、換気はできない。外の景色もわからない。

本当に最後の最後までモロッコに驚かされる。


気持ちを切り替え、モロッコ料理以外のものを食べようと思い街を出歩いた。お金はあまりないが、そこまで使っていないので1000円くらい使っても良いかなと思った。しばらく歩いているとピザハットが見えたので入る事にした。小さめのピザにチキンとサラダとコーラで700円くらいだったか。

久々の欧米のファストフード(昨日マクドナルドを食べたが)は充実した食事となった。




翌朝、寝付けが悪いのと喉の調子が悪いのとで6時に起きた。フランスのトゥールーズ行きの飛行機は11時なので時間が余り空港でぶらぶらした。

本当は船でスペイン経由でフランスに入りたかったが、お金の都合で飛行機で一気に飛ぶ事にした。値段は€90(9000円)くらいで、航空会社はなんとエールフランス。久々の大手の会社にワクワクした。




いよいよ飛行機に乗り込む




エールフランスの機内は快適すぎて、申し訳ないくらいだった。乗客の身なりが一気に変わり、安心する。

2時間後トゥールーズに着いた。

久々のフランスにこんなに嬉しくなったのは初めてだし、すべてが奇麗で感動した。空港のデザインや車、鉄道、流れる音楽、すべてが心地よく感じた。

そして、こんな僕の一人旅の到着を待ってくれている人たちがいた。

2年前にイギリスに行ったときBat For Lashesのライブで知り合った、フランス人のフローレンスさんとその友人のイギリス人、ピーターだ。フローレンスは僕がフランスに来るなら是非私の街のカルカソンヌに来てね。と言われ、その後予定を合わせて僕を彼女の家に泊めてくれる事になったのだ。

二人は早速駐車場に案内してくれて車でカルカソンヌに移動した。


道のりは高速を使い約1時間。一般道に入るとフランス南部らしい落ち着いた風景が続く。モロッコの喧騒とはまるで違いすぎて、夢から覚めたような気分になる。彼女の家はカルカソンヌの城壁がある中心部からさらに10キロくらい離れた所にあった。







どんどん家がなくなっていく、本当にこんな所に家があるのだろうか?
一瞬不安になった。周りはぶどう畑が延々と続く。


そして、ぽつんと一軒のアパートが見えて来る、石畳の奇麗なアパートだ。
こんな所に住んでいるのかと驚き、自分がここに泊まれると思うと嬉しく思った。








ドアを開けると、かわいらしい子供たちが3人現れた。長女のエリーゼ12歳、長男のシモン7歳、そしてティーフィー2歳だ。


子供たちは英語で話すのが苦手で恥ずかしいらしい、そのかわりフランス語だと一生懸命にいろいろ話してくる。だが内容は母親のフローレンスがいないとわからなかった。




夕飯は近くで取れたものが多くスープ、パン、サーモン、パテ、生ハム、チーズ、ワイン。どれもおいしかった。こんなに素朴な料理だがおいしい!とても勉強になった。

まだあまりしゃべれないティーフィー



モロッコにいた時には全く想像のできないほどの生活の変わりっぷりに僕は追いつけていけなかった。





翌朝、朝食はフランスパンとクロワッサンとシンプルながらも、フローレンスの母親が作ったというジャムやオーガニックの蜂蜜などでおいしさが増す。




療養生活まだつづく。