2012/08/21

タリス、タリーズカフェ


 

 久々の料理に感動し、満足げに部屋に戻るとオランダ人の親子と老婆そして青年がいた。
それぞれ、黙々と本を読んだりする中、青年がこどもとチェスを初めて盛り上げっているのだが、残念ながら僕はできないので傍聴するのみだった。老婆は常に分厚い本を読んでおり、たまにどこかへと行っては戻ってくる。トイレが近いのだろうか、その後特に会話もなく時間だけが過ぎて行った。外は暗くなり洗面台へ行き、歯を磨き外の景色を見る。列車は今までに比べ揺れも少なくよくできていた。ポズナンをすぎるとドイツはもうすぐだ、寝ている間にベルリンは通り過ぎるだろう。ふと、車両のつなぎ目を見ると、なんと同室の老婆がタバコを吸っていた。よく部屋から出て行くと思ったら、タバコを吸っていたなんて。トイレが近いのを心配した僕が馬鹿だった。

 ケルンには朝6:20くらいに着くのだが、起きれるか心配だった。だが幸運にも5時半に目が覚め、準備をするも列車が遅れている事を知る。20分遅れで次のケルンでタリスに乗り換えるのだが1分くらいしか乗り換え時間がない。焦ってもしょうがない。

しばらくしてケルンに20分遅れで着く。いい街の景色なのだがホームと階段で走る。タリスにギリギリ乗車した。中はしゃれたカフェのようなデザインで、色は奇抜なピンクや赤紫が主体となっている。しかも乗り心地もいい。TGVのようなルックスでヨーロッパらしい重厚なデザイン。ブリュッセルまでの2時間は快適だった。












 ブリュッセルに着いたが、先ずしなくてはならない事があった。今日の宿はまだ決まっていない。これからプッケルポップというフェスに行くのだが、テントはかさばるので持ってきていない。しかし、会場はブリュッセルから鉄道で約1時間半。困ったなあ。

結局モールを探し、テントを買う事にした。地下鉄に乗り、6駅くらいで降りたころにモールがあった。
テントを探すのは容易かった。目の前に大きなスポーツショップがあったからだ。テントは激安の物で€25(約2400円)が最安でそれに決めた、最近主流のかさ張るがワンタッチのテントだ。



それを手にして、いざプッケルポップの会場へと向かう事にした。駅で列車のチケットを買い、すぐに列車に飛び乗り約1時間半、ブリュッセル郊外のハッセルトの隣り駅、キーウィットに着いた。周りはバックパックやテントなど大きな荷物を持った人間でいっぱいだ、みんなプッケルポップへ行くのだろう。会場は駅から徒歩5分くらいなのだ。


このプッケルポップ、体力的にも精神的にも大きなダメージを受けるとはこの時は知る由もなかった。



じゃあ今日はこの辺で。

ワルシャワへの道



いろいろな夢を見た。おそらく寝心地が最悪なせいもあるだろう。

 ある土地で大量に吹き出した石油を大勢の人間と一緒に電車で油田に向かっているという話だった。あまりにも現実のような夢だったので、目覚めた瞬間焦ったものだ。

外の風景に目をやると、相変わらずのどんよりとした景色だった。それでも首都ミンスクに近づくとビル等が増えてきたが、共産主義時代の面影が色濃く残る。同室のおばさんとその娘は、カザフスタンから来たようだ。娘もあまり英語は喋れないので、会話は特にせず3人並んで僕は音楽を聴いたり本を読んだりし、おばさんは編み物をし、娘は漫画を読んでいた。


昼過ぎに国境の街ブレストについた。ここでは旧ソ連とヨーロッパのレールの幅が異なるため、列車に乗りながら車両基地に入り台車を換えヨーロッパのレールの幅に合わせるという大掛かりな物だった。レールの幅はロシア、ベラルーシは広軌と呼ばれやや広く、ヨーロッパは標準軌という日本の新幹線と同じレールの幅になる。(JRはさらに狭い)しかし、その前にベラルーシの出国審査が列車内で行われた。

パスポートを見せるまでは良かったが。カザフスタンの親子はそのまま返されたのだが、僕だけ「こっちに来い」と廊下に呼び出された。ドキドキしたが、顔をまんべんなく見られ。よしと言わんばかりにパスポートを返してくれた。よかった。その後、馬鹿でかい犬が部屋中の匂いを嗅ぎ、犬が去ると終わった。

さあレール幅の交換だと、食いついて外を見るも、なぜか急停車急発進の微調整が多く、しかも見ていて進展がよくわからないので退屈になった。3時間もその作業を繰り返し出発。反対側のレールはどうなってるんだろう?

ん?






違いは全くわからなかった。


とにかくポーランドに入国した。初めてのポーランドはどんなものか気になった。
すると、外の風景は驚く程変わっていた。

小綺麗で可愛らしいカラフルの屋根の家。庭が広く、きちんと手入れされていて横にフォルクスワーゲンなんかが停まってる家。背の高いポプラ並木。田園風景。そうだ、これがヨーロッパなんだ。今までとの地域が変わったことに手に取るように感じられた。

そう思って食事の方に期待に胸が膨らんだ。夕方17:40にワルシャワWschodonia駅に着く、ここで僕はアムステルダム行きに乗り換えドイツのケルンまで行く。時間が1時間程あるので何か食べようと思った。朝からスニッカーズしか食べていなかった。しかもここ1週間まともな料理を食べていない。うーん、新鮮な野菜の入ったサンドイッチでもいいと思い駅のコンコースへ行く。コーヒーのいい香りがしてきた。

建物は近代的でコンクリート打ちっぱなしのようなデザイン。そのまま匂いにつられコーヒーとサンドイッチを注文する。が、「xxx ズロチになります」しまったユーロとルーブルしか持ってない
「ユーロ使えますか?」
「ごめんなさい」


悔しかった。お金を持っていて食べ物を買えないなんてそんな経験なかったからだ。仕方なくホームへ戻ると、アムステルダム行きがすでに停まっていた。僕の部屋まで行くと、今回の部屋は6人部屋で、3段ベッドが2つ向かい合っている。しかし、列車自体は最近の物でしかもドイツ製らしく、非常に機能的で合理的で快適そうだった。

とりあえず先頭の写真を撮ろうと外に出ると、一番前の車両にBARそしてCAFEの文字が。食べ物にありつけるかもと思い中へ急いだ。ドアを開けると『料理』の匂いがした。それは肉の香りか、はたまた揚げ物の匂いかわからない、とにかく料理が食べたい。店員に訪ねると、「ドイツ語?ロシア語?英語?」と訊かれ、まず言語から選択しなくてはならなかった。前菜を選ぶかのように英語と答えると



「今はディッシュ(セットのことかな)がおすすめなんです、チキンかビーフかフィッシュ」
「チキンで」
「少々お待ちください、ビールは如何?」
「水ください」
「了解」

そして数分後、料理が来た




それは大きめの平らな皿にコールスローとゆでたポテトに紫キャベツのピクルス、そしてその上に大きなチキンカツレツがどんと乗っかっていた。
何も言わずチキンをフォークとナイフで口に入れる。ジューシーすぎて口の中はびっくりして、おいしすぎて泣きそうになった、本当に感動した。コールスローもピクルスも手作り感がありおいしい。ポテトもあつあつで申し分ない。こんなにおいしい料理にありつけたのは何年ぶりだろうと思わずにはいられなかった。




おいしい料理にありつけた祝杯としてビールかロックのウイスキーを頼んでしまおうかと思ったがやめた。


2012/08/19

シベリア永遠の旅(後半)


8月13日,6日目

もう鉄道に乗り続けて5泊もした。洗濯もやろうと思えばシャンプーのそれと同じ方法でできるのかもしれないが干す能力に欠けてるので懸念していた。相変わらずフェイスシートや寝る前にトイレでシャンプーするのは変わらない。だが、不思議な事に湯船につかりたいとか日本食が食べたいとか、ふかふかのベッドで寝たいなどはあまり思わなかった。

部屋は急に冷房が効きすぎてシベリアの冬を垣間見えることがあったり、逆に全く冷房が効かなくて寝苦しい事もあった。そもそもベッドが固く狭いため体勢を決めるのが難しい。だが夜の寝台列車の魅力はゆりかごのような揺れが気持ちいいことと、夜の外の景色がすばらしいことだ。星は相変わらず奇麗で流れ星もかなり見た。今まで来た事もない所の夜の風景というのはとても興奮する、自分の足だったら道がわからなくて遭難するだろうが、ここは電車の中。なにもない大平原の傍らにポツンと明かりが灯っていて、人が住んでいる家があったりする。

「ああ、こんなところにも人が住んでいるんだなあ」
と寅さんと同じ事をふと口にした。



今日は、ノボシビルスクで乗ってきたロシア人青年のシャミルとその友人とたくさん話した。シャミルとアレックスが英語を多少話せるので会話はできた。なかでも一番盛り上がったのがお金の話で、日本ではこれはいくら?とかロシアではいくら?という質問である。変換アプリを使っていろいろ質問し合った。
東京の家賃の反応は凄かった、平均6万円くらいだと彼らに伝えると、頭を抱え雄叫びを上げ、発狂するのではないかという反応だった。

因みに2人はロシア第4の都市であるというニジニノブゴロド出身であるが、そこのアパートは大体7000円くらいだという。こんどは僕が安さに驚く番だった。たしかに物価も安いけどこんなに安いんだったら大分貯金できるよな。そう思ったが次の質問によって打ち砕かれた。

彼は唐突に「君は毎月給料いくらもらってるの?」と訊いてきた。
3人のロシア人は目をキラキラしながら僕の回答を待っている。
「わかった、日本人の平均月収をおしえるよ、それでいいかい?」
「いいよ!」
大体30万円くらいかなと思い、ルーブルに変換してそれを見せた。

断末魔のような叫びが部屋に轟く。

彼らは興奮して僕にロシア語であれこれ質問してくるがわからない。
落ち着いてから聞くと、そんなにもらってどうするの?俺も日本に行きたい!
というものだった。
その後、ロシア人の平均月収を聞いてやはり驚いた。
大体7万円くらいだという、それで十分だと彼らは言う。ここでは確かにそうかもしれない。そう思った。


ドイツ代表のエジルのシャツを着ている25歳のシャミルは奇麗な奥さんもいて、仕事はエンジニアで副職は模型づくりをしている。愛犬のドーベルマンと愛車の韓国車でドライブをしたり趣味であるウサギの飼育のためにあれこれ買い物をするのが好きなのだと言う。

「へえウサギの飼育かあ。かわいいなあ、おもしろい?」
「子供が生まれたときはうれしいよね」
「いっぱい飼ってるんだね」
「うん、でもある数で調節してるからね」

調節?

「ウサギはやっぱり食べるときが一番だよ」
「えーーーーーーー!!!!」

思わず頭を抱えた。ウサギの飼育だなんて可愛らしい趣味だと思っていたから、あまりにもイメージが逆転してしまった。まさかそれをステーキにしたりスープにしたりして食べているとは思わなかった。

「え!?日本ではウサギ食べないの?」
「ウサギ飼ってる人はいるけど、それを食う奴なんていないよ」
「えーおいしいのに、君も是非食べてみたら」

今自分がシベリア鉄道でモスクワに向かっている事を忘れた瞬間でもあった。








7日目

いよいよ長旅も今日で終わる。

そう、モスクワにようやく着く。
長いようで短かった。

だんだんと風景もヨーロッパらしい風景が続くようになった。そんな中ユリコちゃんが予定を変えてシャミルたちの家のあるニジニノブゴロドで降りて行った。モスクワは明日いくとの事だ。どうか気をつけて旅をしていってもらいたい。
コウジ君とふたりになり、モスクワまで極力体力を使わないようにした。







人々は今までとは違い都会的な冷ややかな表情が多い。約20年前、ここらではあちこちで長い行列ができ何時間もでかけてパンやミルクにありつけたという。そうここはモスクワ、遂に9388kmシベリア鉄道を乗り切ったのだ。

モスクワは肌寒い、人々もやや怖い印象を受ける。地下鉄の駅の建築に圧倒されたものだったが、それよりもホームに降りてくる大量の人々の波が東京のそれとは違いもっともっと温度が低いように感じられた。かなりショックを受けた。
地下鉄内は殺伐としていて、恐怖感も抱きざるを得なかった。
その後久々にネットに繋ぎ、下界に戻ってきたことを実感する。コウジ君と別れ、僕は数時間後モスクワ、ベラルーシ駅からプラハ行きの夜行に乗らなくてはならない。

赤の広場、クレムリンを目の前にし、カメラを取り出す。

ピントが合わない。様子がおかしいぞ。

落ち着け

次の瞬間、完全に光に反応しなくなり。使い物にならなくなった。
カメラはもうあきらめよう。とにかく、駅へ急ごう。酷く疲れていた。


今日はカップ麺一個とさっき食べたスニッカーズだけで、お腹も減っているはずだが、なぜか減らない。
駅に着くと、人々がだだっ広い広場に座っている。ベンチという物が一切無いのだ、仕方なく花壇で座る。

ショックは大きかった、カメラは相変わらず調子が悪く反応も悪い。列車は出発までかなり時間がある。売店で何か買おうとするも長蛇の列。コーラを飲みながら俯きかげんで音楽でも聞こうと思いradioheadのidentikitを聞く。なにやら僕の前で子供が走っている、ぱっと見ると白人の5、6歳の女の子がこちらをずっと見て笑いながらぐるぐる走り回っている。とてもかわいかったので、ずっとみていると近寄ってきて手を差し出してきた、何かと思うと飴をくれた。この子は天使の生まれ変わりかなんかじゃないのかと思う程かわいかった。

近くに野獣のうような父親がいて人間の子だと理解した。父親が何処から来たのと質問してきたので、日本からだと言うと、我々はプラハへいく途中なんだという。そうか、この列車はプラハ行きなのか。僕はワルシャワで乗り換え、ケルン、そしてブリュッセルまで行く。

列車に乗り込むと今までとは部屋の形状が大きく変わり3人1部屋でひとつの3段ベッドしかなく、車両もシベリア鉄道よりだいぶ古く重い空気だった。僕は一番下なので快適だと思っていると、おばさんがやってきた。ロシア語で何やら娘と困った口調で話している。そうか、このおばさんは一番上だから登れないのか。
そう、はしごもなく登りづらそうなのだ。

これも経験だと思い、「変わりましょうか?」と訊くと。
やはり英語がわからないらしい。
ジェスチャーで「ボク、上に寝る。アナタ、下に寝る。オーケー?」
理解したらしくとても喜んでいた。

しかし、3段ベッドの一番上はアスレチックかのごとく、よじ上るのが大変な上にベッドの上で顔を傾けないと座れない。しかも荷物棚にはなにやら虫の死骸が。見なかった事にして寝る事にした。




明日はベラルーシに入る、ワルシャワに早く行きたいと思った。




この旅行初めて先を急ぎたい気持ちになった。






2012/08/18

シベリア永遠の旅(前半)

朝起きると、いつの間にか僕の部屋にいた隣りのロシア人は身支度していた。

間もなくハバロフスクに着く。
廊下に出るとリサがいて、ホームに日本人らしき人がいるよと言っている。見ると、大きな荷物の青年が歩いていた。リサは彼の鞄のチャックが全開だったことに笑っていた。部屋に戻るとその青年が何と僕の部屋と同じだったのだ、聞くとやはり日本人で大学生だと言う。コウジ君はモスクワで1泊し、その後ベルリンを経由してプラハへ。1ヶ月ほどの旅だという。

日本人がモスクワまで一緒とは思わなかった。いろいろと助かるかもしれないと思った。

16時に1000kmを超えた。意外と早いペースかもしれない。

コウジ君はいろいろな人に話を掛けては部屋に連れてきたり、酒を飲んで帰ってきたりしていた。そんな彼は鉄道マニアで、現在の距離や時間のチェックも怠らない。
3等と1等にもどうやら日本人がいた、小学校の先生のコウイチさんと金沢から旅行できたという亀岡さん夫婦たちだ。日本人の乗車率が高く驚いた。






3日目、9時起床。
朝目が覚めると頭がかゆい。仕方なく、臭いけどトイレの洗面台でシャンプーする事にした、この先これが鉄道旅行の定番行動となる。トイレでのシャンプーは意外にも開放感があっていい、シャンプーしてて急に腹痛が襲ってきても対応できる。

この日はとても有意義な時間が過ごせた。話す相手もさほどいないので、親しい友達のように乗客と話した。リサさんはなんと室伏広治の大ファンで、好きでたまらなく彼に彼女がいないか聞いて欲しいと言う。
室伏のファンなんて日本でも聞いた事が無かったので、笑いが止まらなかった。コウイチさんとは小学校の現在の様子を細かく教えてくれた。
ソニャとはいろいろな話をした。スイスのことや、なぜか軍や核や地震の話やなぜ原爆が落とされたのかなどなど。彼女は心理学者を目指しており今は精神科医で働いているという。僕がチューリヒに行く時に合う約束をした、彼女には彼氏がいて僕も同様に彼女を日本に残している事からお互いのパートナーを見たいということになり、ちょうど彼女もチューリヒに来る。楽しみになってきた。

夜はみんなで食堂車で食事をしたが以外と900p(2400円)くらいしてしまった。味の方は悪くはなかったが、大散財とんってしまった。
もうカップラーメンだけで行こうと決意する。


4日目、8時起床。朝ご飯は韓国製カップヌードル(70円)と駅で買ったキュウリとトマト。いよいよサバイバルな感じになってきた。途中の駅では決まったものしか買えないのでメニューはほとんど決まってしまう。カップヌードルにインスタントマッシュポテト(結構いける)、インスタントパスタ(信じられないくらいまずい、麺がペヤング)たまに野菜が売っている程度である。



今日はウランウデでリサさんとソニャが降りて行った。とても悲しかった。






山岳地帯を超え、バイカル湖、イルクーツクをすぎてから工場や家が多くなってきた。しかし、依然として廃墟の数が多い。たまについ先日まで戦争をしていたと言われても信じてしまうような廃墟群があった。さすがに恐怖を感じる。
となりにシュトューパという少年がやってきて、ipadをいつもいじっている。お金持ちなんだろうな。


5日目 7時起床
だんだんと起きる時間が早くなっている。夜更かしをしていない事もあるが、大きな原因は時差が毎日1時間戻るからだ。ウラジオストクとモスクワは同じ国なのに7時間もの時差があり、1日ずつ前に1時間戻るのである。ということは、シベリア鉄道に乗っている者は全員一日25時間あるということだ。

相変わらずインスタント食品を食う。アレックスというロシア人の青年と仲良くなる。

ノボシビルスクに着くと、となりのシュトューパくんとその母親が降りて行った。




つづく







ウラジオストクの番長に別れを告げて

ロンドンに到着しました。
ユーラシア大陸を鉄道で10日間駆け抜け、11890kmも走った。

それは今までに感じた事の無い、長い長い鉄道の旅だった。
ユーロスターはゆっくりとロンドン セントパンクラス駅に着いた。

本当にロンドンまで鉄道で来てしまったのだ。






日記は8日に戻ります


8月8日

大学生のユリコちゃんは車でロシア人の友人と大きな橋を見に行ったので
スイス人のソニャと灯台へ行く事にした。
ホステルからバスに乗りわずか5分で終点なので、そこから歩いて20分くらいで灯台に着いた。途中、街が一望できる丘があり、ウラジオストクを眺めた。
廃墟が多く、バスも中古の韓国製で車はみんな中古の日本車だった。
かつて、ここは秘密都市的な軍港であり日本人は10数年前まで入る事ができなかった。そんな事を思うと今は近代化に勤しんでる途中で、未完成な都市ともとれるし、もう開発しても観光には向いてないと投げやりになった街とも見える。そういえばAPECがもう少しで開催するそうだ。

 その後いよいよウラジオストク駅に行き出発を待った。
駅のホームにある9388kmというモスクワまでの距離のモニュメントを見て期待と不安を覚える。列車が到着し乗り込もうとしたが、車掌がチケットにしろとロシア語で言う、チケット交換所に行くとしなくて良いと言われる始末。結局駅員のじいさんが間違っていた。ようやく中に入ると2等の寝台は非常に奇麗で快適そうに見えた。

22時半頃出発。
さっきの車掌に無理矢理菓子や紅茶を買わされた事を除けばなかなか想像してたものより快適にモスクワまで行けると想像した。(結局紅茶類は後で重宝した)
2等は4人部屋なのだが1等は2人、そしてユリコちゃんとソニャはなんと3等(クラツカルという)であった。個室ではなく無く横に2段のベッドと縦にも2段のベッドがある、とにかく人口密度がすごい、2等と空気が違う。旅行、出稼ぎ、軍人、アル中、よくこれでモスクワまで行けるもんだと感心してしまった。

部屋に戻ると廊下で英語で話しかけられた。ニュージーランド出身で今はアイルランド在住のリサさんだ。彼女はロシアでは英語が全く通じなくて我々と同じく困っていたそうだ。
英語が話せる人がいただけで、良かったと思ったが残念ながら彼女はウランウデという3日後に止まる駅で降りるという。さっそく知り合いができ、これからが楽しくなる予感がしたところで寝る事にした。

部屋を暗くし窓の外の景色を眺める。

星がとてもよく見えてきれいだった。北斗七星が場所を間違えたのではないかと思うほど星と星の感覚が開いて見えた。辺りは平原が続き目が慣れると丘や山などがよく見えた。とある駅で貨物列車が休んでいた、貨物のほとんどがガソリンや重油でそれも見た事の無いくらい大量だった、80両くらいはあった。それらを眺めながら1日目を終えた。







つづく